山梨県立塩山高校この輝かしい栄冠!
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篠山鳳明
2019年06月30日 18:54 visibility6245
今日は午後「あかつきの湯」に行ってきてリラックスしました。
それにしても「あかつきの湯」のサウナは熱すぎる、やけどするぐらいの熱さだ。
5分と入っていられないので今日は露天風呂とジェットバスを多めにしました。
さて本日最後のブログを挙げたいと思います。
やはり甲斐の国の高校で塩山商業である。
塩山商業は山梨県甲州市三日市場440-1にある。
JR中央本線の塩山駅が最寄り駅となる。近くには笛吹川が流れており、甲州葡萄の栽培が盛んな地である。
昭和31年商業科の山梨県立塩山高校として創立。38年に塩山商業に改称したが、平成元年に塩山高校に戻った。
野球部創立は昭和32年、45年に初鹿勇監督が就任してから強くなり、エース飯島正順を擁して初めて西関東大会決勝まで進むが熊谷商業に1対2と惜敗した。49年夏にエース和田元貴で二度目の西関東大会へ進出したが決勝でまたしても上尾高校に4対6で敗れ甲子園への道は閉ざされた。
第58回(昭和51年)選手権大会では
山梨県で
一回戦 北富士工業8対1
二回戦 日川高校2対1
準々決勝 甲府商業1対0
準決勝 吉田高校4対0
北関東大会では
準決勝 樹徳高校9対2
そしてとうとう
決勝 高崎商業 4対3と下し初の甲子園出場を獲得した。
このときのエースは古屋靖でチームがまとまっており全員の勝利と言ってよかった。
第58回(昭和51年)の選手権では一回戦で強豪天理高校と対戦したが打撃戦の末惜しくも5対10と敗れている。
その後も53年夏和田の弟和田義実がエースとなり県大会決勝で石川賢(日大→ロッテ→太洋→日ハム)の日川高校の前に0対1と惜敗した。
翌54年には松本信二(日ハム)を擁したが県大会準決勝で敗退。59年夏にも県大会決勝まで進出したが敗れた。
その後も63年にもエース鶴田泰(駒澤大→中日→広島)を擁し春の関東大会にも進出している。平成4年関東秋季大会にも出場しているが甲子園には今一度届いていない。
塩山商業いや塩山高校もう一度甲子園へ出場して校歌を唄う日は来るのであろうか?
おわりです。
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