てっちゃん!
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篠山鳳明
2024年05月02日 15:28 visibility418
熱い思いを抱き高校野球に情熱を傾け、直向きに練習に励んで来た男がいる。
この方を知ってる人は相当の野球通ではないだろうか?
橋本哲夫さん
熊谷商工の選手だった。
橋本は1966年の高校3年時の甲子園行きが掛かった西関東大会準優勝で堀内恒夫がいた甲府商業と対戦。
当時から堀内のドロップは高校生離れしていた。
熊谷商工は一回三者連続三振、
しかし三回表橋本は堀内の豪球を捉え、レフトへの弾丸ライナーのホームランを放った。
五回には原田勝美が本塁打、
その後熊谷商工は森重雄→洲崎洋幸が好投して甲府商業を2対1で破り甲子園へ。
甲子園では小野田工業に勝ったが、報徳学園には破れた。
橋本は、その後地元の安定企業の埼玉信用金庫で三年間働くが、母校富士見中学の恩師木本清一から熊谷商業のコーチにと進められ、信用金庫を退職し、岡部青果店に務める傍ら、熊谷商業のコーチに就任した。
80年前任の斎藤監督から全権を任され監督に就任した。
この夏
浦和学院
浦和市立
埼玉工大深谷
大宮
深谷商業
決勝戦ではあの川口工業を破り甲子園出場を決めた。
夕方、自宅には激励の電話と同時に、斎藤監督から引き継いだばかりなので、耐えられない誹謗中傷の電話もあった様だ。
それが耐えられなかったのか、翌朝早速部長になっていた斎藤に辞表を提出、斎藤もそれを受けてしまったのだ。
何故斎藤が辞表を受けてひまったのか?それは今でも謎である
橋本はその後「哲ちゃんの味の店 甲子園」を熊谷市で開店している
今では、繁盛して二号店まで出店している。
そして、店には毎日、老若男女高校野球好きのファンが集まり、「ワイワイ、ガヤガヤと」野球談義に華が咲いているのだろう。
人は運命に導かれて生きている
橋本が、そのまま熊谷商業の監督を続けていたらどの様な運命が待っていたのだろうか?
しかし、それは誰にもわからない。
☆大変失礼ながら、文章構成上敬称を略させて頂かせております。
- 事務局に通報しました。
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