
八尾高校
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篠山鳳明
2025年03月22日 15:51 visibility85
大体が古くから名門、古豪と呼ばれ野球の有名な高校で有れば、ほぼ作成されているのが「野球部史もしくは野球部誌」である。
私は野球部史が好きである。(ここからは史で記載)
何故か?と言えば、野球部史を開いて見てみると、ほぼその高校の野球部の歴史毎がわかるからである。
甲子園出場した時は結果として雑誌とかに残っているが、甲子園に出場する為の秋季大会、もしくは県大会の予選で惜しくも敗れた。
それがどうゆう状態で敗れたのか?そうゆう事を知りたいのである。また逆もあり、どうゆう状態で県大会を劇的に勝ち上がって行ったのか?というのも記載が有る。
そんな事で!今回は大阪の八尾高校です。
大阪の中でも大変伝統のある高校、先般紹介した「北野高校」と匹敵するくらいでしょうか?
1895年の創立、北野高校が1883年なので若干はあたらしいがそれでも明治28年と凡そ130年の歴史を誇る。
甲子園は春6回最高成績がベスト4が3回。
夏は4回出場して1952年(昭和27年)の第34回大会に隣県対決という決勝戦で兵庫県の芦屋高校に4-1と敗れている。
この時芦屋には植村投手、立教で長嶋と同期の本屋敷選手がいた。
一方八尾は後の早稲田大でエースを張る木村保投手がいた。
八尾高校が活躍したのは主に昭和20年代〜30年代。
日本の戦後復興期の真っ只中。朝から晩までRegainワークしていたサラリーマンの心を高校野球⚾️が1涼の風のように和ませていたはずである。
そう言えば今回選抜で解説を務めている長野哲也さんも八尾高校のOBである。また富山県にも同じ八尾高校があるがコレは(やつお)と読むらしいです。
私はまだこの世に生を受けていない時代の為、思い込み、はたまた机上の空論でしか述べれません。
ご同輩の中でこの時代のエピソード等が有ればご教示賜われれば幸いです。
☆週刊 甲子園の夏(NO15)朝日新聞社
☆八尾高校野球部史
より引用しました。
- 事務局に通報しました。
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