
秋田県の高校野球の時代のひとコマの切り取って見た!
-
-
篠山鳳明
2025年06月22日 16:09 visibility79
日曜日の昼下がり、今日の千葉県北総地区は風が強いです。各地区では東京ドームで行われる「真夏の野球の宴」都市対抗の代表が続々と決まり初めて来ております。
そんな中少しばかリ仕事に行く前に時間があるので、私の出身県の秋田県の甲子園出場チームの投手について少しの時代だけ切り取ってピックアップさせて頂きました。
①1972年(第54回選手権大会)
代表→秋田市立高校 エース船木千代美投手
甲子園では、初戦米子工業に相手のミスもあり勝利したが
次戦の東海大工業戦は相手の豪打に飲み込まれてしまった。
法政大学から熊谷組、TDKに移籍してTDKで監督として都市対抗
優勝を果たす。
②1973年(第55回選手権大会)
代表→秋田高校 エース小野巧投手
甲子園では大阪の剛腕北陽高校の有田二三男と対戦。
有田投手に2安打完封負けを喫してしまった。
地元秋田大学から母校の監督に就任、春4回、夏3回の甲子園出場
③1974年(第56回選手権大会)
代表→秋田市立高校 エース石崎透投手
甲子園では紀和代表の郡山高校と対戦、脚の故障を押して好投した
が、延長で郡山の宮城の3塁打に泣いた。
東洋大学では野手で活躍、東洋大学から地元秋田相互銀行で投手
として活躍都市対抗出場
④1975年、1976年(第57回、58回選手権大会)
代表→秋田商業 エース山岡政志投手
1975年甲子園では初戦洲本高校に圧勝も次戦の磐城高校戦では
左腕の小磯投手を打てず惜敗。
1976年は初戦宇部商業に辛勝、次戦の天理高校戦は延長にもつれ
込むも無念のサヨナラ負けを喫する
山岡はその後は日本石油に進みエースとして社会人野球で活躍。
⑤1977年、1978年(第59回、60回選手権大会)
代表→能代高校 エース高松直志投手
1977年は初戦の高崎商業戦で滅多打ちにあい、大敗。
1978年は前年度の敗戦を糧に、投げ方をスリークォーターにして
コントロール重視、初戦強豪箕島高校に善戦したが0-1と惜敗
打線が石井投手を打ち崩せなかった。
高松はその後電電東北に進むが、肩の故障により、外野手へ転向
した。
どうだったでしょうか?
秋田高校の小野さんの投手としての写真がなかったのでご了承下さい。
☆アサヒグラフ(各大会号)
☆忘れ時のヒーロー(ベースボールマガジン社)
☆にっぽんの高校野球(東北編)より引用しました。
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件