50年ぶりの復活 (三国丘高校)
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Mr.black
2011年12月27日 15:50 visibility15066
南海高野(こうや)線の「堺東駅」から東南に5分ほど歩いたところに「府立三国丘(みくにがおか)高校」があります。
<注>:本来の地名は「三国ヶ丘」ですが、この学校名は「三国丘」と表記されます。
この学校の歴史は非常に古く、1895年に「大阪第二尋常中学校」として設立されました。
府内でも屈指の進学校で、なおかつクラブ活動にも力を入れている文字通り文武両道の名門校です。
この学校、甲子園にも早期に出場しています。それは校名が「堺中学」になった時代の1934年(昭和9年)の第11回センバツ大会でした。
その後は長い間のブランクが空いたのですが、ちょうど50年後の1984年(昭和59年)の第56回大会に2度目のセンバツ出場を果たしました。
この時のことは比較的よく覚えています。センバツ選考にあたり、ある程度奇跡のようなことが起こったのです。
センバツ直前の秋季大会、まず三国丘は大阪で準優勝します。そして大阪2位で臨んだ近畿大会。1回戦は無事突破したものの、次戦で敗退。ベスト8に留まりました。
この時点で同じ大阪のPL学園(大阪1位)、近大附属(同3位)が揃ってベスト4に進みました。通常であればこの段階でセンバツはほぼ絶望でした。
しかし近大附属が準決勝のPL戦で大量失点のコールド負け。これだけならばまだしもだったのですが、近大附属は大阪大会でもPLに大差で負けていました。
同じ相手に2度コールド負けしたこと、逆に三国丘がPLに僅差での敗退だったこと、同校が公立で屈指の進学校だったこと、50年ぶりのチャンスだったこと、これらの事情が絡み合い、ベスト4の近大附属が外され、ベスト8の三国丘が選ばれるという大逆転選考が実現しました。
私が知る限りでは近畿大会ベスト4の学校が選考から漏れたのはこの時だけだったのでは?と思います。
当時は奇跡のように感じました。一方で「センバツ」という言葉の意味を実感した大会でもありました。
残念ながらこの時のセンバツでは初戦で敗退してしまいました。試合途中でエースが打席でデッドボールを利き腕に受けてしまい、それが投球に影響があったと思われます。
府内屈指の文武両道校、三国丘。野球部は公立の中ではかなりのレベルで、現在でも年度によってはベスト16~ベスト8辺りに顔を出します。
前回のような勢いと勝ち運が付けば再び復活のチャンスが来るかもしれません。
同校のユニフォームは左胸に校章が入っただけの非常にシンプルなデザインです。いかにも古豪・伝統校という雰囲気です。はたして復活の時は?
ローカル情報ですがこの三国丘高校の周辺には古墳などが点在しています。
写真は同校のすぐ北側にある「反正天皇陵」。最も有名な「仁徳天皇陵」も徒歩圏にあります。歴史のある土地柄なのです。
こちら方面に出かけられてお時間がありましたらぜひ周辺をご散策ください。
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