大阪球場の在りし日の写真
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Mr.black
2012年06月26日 09:46 visibility15402
かつてミナミにあった大阪球場。
基本的には南海ホークスの本拠地でしたが、立地条件が良かったためにホークス以外の球団が利用することもしばしばありました。しかし関空事業と連動してミナミを再開発することになり、野球場としては閉鎖されました。
ただ閉鎖後すぐに解体されたわけではなく、その後は住宅展示場などに転用されて数年間残っていました。
住宅展示場時代に訪れたことはありましたが、グランド部分のあまりの変わりように「こんなみじめな姿でさらしものにしないでくれ」という感情が起こりました。
なのでその当時の姿を写真に残すという考えは全く思いつかず、解体されて数年後になってから「球場の記憶として残しておけばよかった」と後悔しました。
インターネットで検索すれば写真を見つけることは出来るでしょうが、最近別な形で印刷物が手に入りましたので掲載したいと思います。(画質は粗いですが。)
これが住宅展示場時代の大阪球場の姿です。
手前が正面口。このスタンドをくぐると駐車場スペースがあり、奥にモデルハウスが林立するという状況でした。この球場はスタンドの急傾斜が有名でしたが、この写真で理由がよく分かりますね。
正面から3塁側にかけて南海なんば駅・高島屋・その他商業設備が、1塁側には道路が走っています。狭い空間に球場を無理やりはめ込んであったのです。
内野スタンド上部に座ってグランドを見るとフラ~、と前のめりになって転げ落ちそうな感覚がありました。高所恐怖症の人には怖い球場だったかもしれません。
また、レフトに比べてライトのスタンドが小さくなっているのもこの写真でお分かりになるでしょう。敷地が足りなかったのですね。そのためにスコアボードがセンター正面ではなく、右中間寄りに造ってあったのです。
グランドにモデルハウスが建っているにも関わらずスタンドの座席とスコアボードがそのままというのが何とも言えない違和感がありました。
以前にも紹介しましたが、Vシネマ「ミナミの帝王」のどれかの話でこのスタンドが映っているシーンがあります。未だに発見出来ていませんが、いつかは見つけたいものです。ご存じの方がいらっしゃれば逆に教えていただきたいものです。
ちょっと引いた写真です。下記と比べてみてください。
これが現在の姿。左右の景観はさほど変化はありませんが、球場のあった場所だけは大きく様変わりしていますね。
しかし今でも思いますね。
「大阪ドームにあれだけ莫大な費用をかけるのであれば、大阪球場を取得・大改修して存続させた方がよかったのではないのか?」と。
経営・経済効率などで考えれば私のこの意見なんて「バカげたたわ言」と一蹴されるのかもしれません。しかし甲子園や神宮が「聖地」としてある意味神格化された野球場になっているのは高校野球や六大学野球が開催されていること以外に球場そのものが長い歴史を誇るのもひとつの要因です。
そしてよく「大阪府」と勘違いされますが、甲子園は「兵庫県」です。
大阪にも後世に「野球の聖地」と呼ばれる場所を保存しておくのは経営や経済の効率だけでは計り知れないものがあったはずと思うのですが。
あくまでも私個人の感覚ですが、「野球場文化」というものは日本ではあまり発展していないように思います。
酒のニオイがあふれ、おっさん達のヤジや罵声も飛び交った場所ではありますが、「昭和」の風情がタップリだったスタジアムでした。(←今は自分がおっさん。苦笑)
オシャレな現在の「なんばパークス」を見ると「昭和はどこに行ったのだろう?」とも思います。
最後におまけ。これは私が撮影した大阪球場の野球場としての最晩年の写真です。
(夏の高校野球大阪大会。既に南海は球団身売りしていた時期です。1989年か90年頃。)
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