左腕投手が呼び込んだ甲子園出場 (神戸村野工業)
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Mr.black
2012年09月12日 14:55 visibility7881
前回レポートした神戸市民球場から東へ10分程度歩いたところに神戸村野工業高校があります。
比較的珍しい私学の工業系高校です。私学工業としては全国でも有数の古い歴史を誇っています。(1921年設立)
甲子園には過去春2回、夏1回出場。初めて出たのは1978年(昭和53年)の第50回センバツでした。
この時のエースは名前は忘れてしまいましたが非常に特徴のある左腕投手でした。上・横・下の3方向から投球するミラクル投手だったのです。左腕でサイドやアンダーから投げるピッチャーは当時少なかった上に一人で一球ごとに投げ分けたのですからバッターはかなり打ちづらかったと思われます。
ミラクルサウスポーが呼び込んだ初の甲子園でしたがこの時はセンバツ初戦敗退。
村野工業はその後甲子園から遠ざかります。
同校が再び勢力を盛り返したのが1991年(平成3年)の夏。
この時のエースは後に阪神にドラフト1位で指名された安達智次郎投手(当時高2)でした。前回のエースは軟投気味の左腕でしたが安達投手は本格派左腕でした。偶然にも村野工業が甲子園に出るのはいつも左腕がエースの時でした。初めての夏で期待されましたがこの時も初戦で敗退。
そして翌春、最上級生になった安達投手を擁して再びセンバツに出場。この時には後に西武・巨人に在籍した黒田哲史選手もおり、投打に評価が高く優勝候補の一角に上げられていました。
しかし球運は同校に味方せずまたもや初戦敗退。合計3度全て初戦で敗退し、未だに甲子園未勝利のままです。
その後は兵庫県大会で上位に勝ち上がることもありますが甲子園には届いていません。
悲願の初勝利を迎える日はいつになるでしょうか?兵庫は強豪が多く、厳しい県大会ですが。
今夏の軟式全国大会には出場した村野工業。国体にも出場するようです。硬式もがんばれ!
話は変わりますが村野工業の近くには長田神社があります。↓
(北へ徒歩10分程度)
この鳥居は震災で倒壊したのを復興させたものです。すぐ横にはそのことを刻んだ石碑がありました。
大災害はこうやって後世に伝えていかなければいけませんね。
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