消えた球場(9) 東映の駒沢球場
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Mr.black
2009年06月25日 18:08 visibility10049
今回見分した東京都内の球場跡地は合計3箇所。その最後です。
駒沢球場の歴史については以前に「球場の争奪戦」というタイトルで詳しく書きましたので、ここでは簡単に書きます。
現在駒沢オリンピック公園にある硬式野球場(写真)はかつてパ・リーグの東映フライヤーズが本拠地にしていた駒沢球場とは別物です。
1950年(昭和25年)に2リーグ制になり、球団数が一気に増えたプロ野球。当然のことながら使用する球場の不足が生じ、特に後楽園球場には5球団がひしめき合いました。この過密な状況を脱するために東急(当時はまだ東急フライヤーズ)が自社沿線に造った野球場。これこそが「初代」駒沢球場です。
ところが東京オリンピック開催が決まると都から土地の明け渡しを求められ、やむなく東映(この時には東映フライヤーズ)は撤退。駒沢球場は取り壊されました。
そしてオリンピック終了後に周辺が公園として整備され、この時に現在の「二代目」駒沢球場が新たに誕生しました。(1965年完成とのこと)。
初代の駒沢球場が完成した時には周辺は畑ばかりで民家が点在していた程度だったようです。このため風が強い時には土ぼこりが舞って観戦しにくく、また風向きによっては人糞の臭気が流れてきて大変だったというエピソードもあります。さらに夏には蚊の襲来もあり、観戦状況は良好とは言えない野球場だったようです。
当初は閑古鳥だった駒沢。しかし巨人を退団した水原監督が就任後にチームが強くなると大勢の観客が詰め掛けました。そして1962年(昭和37年)についに東映が優勝。
しかし残念ながらこの場所で日本シリーズは開催されませんでした。(神宮で開催。)
現在の駒沢公園周辺は住宅やマンションが立ち並び、また店舗や大学もあってかつての風景とは全く変わっているようです。
「駒沢の暴れん坊」と云われた東映フライヤーズの選手が躍動したかつての「初代」駒沢球場。
散策した限りでは旧球場の痕跡を残すようなもの(記念碑など)は見つけられませんでした。元々無いのかもしれませんが。
そして現在の「二代目」駒沢球場は高校野球や大学野球などアマチュア用として利用されているようです。
今回訪れた時は平日の真昼だったので試合は何も行われていず、スコアボードの整備点検がされていました。球場の管理事務所に入場の可否を問いましたがNGでした。残念ですが仕方ないですね。むしろ石川県立球場のようにスムーズに入れてくださったことの方がラッキーだったのでしょう。
今回の球場跡地めぐりはこれにて終了です。本当はお隣神奈川に進出して川崎球場にも行こうかと考えていたのですが、寝不足と歩き回って疲れたので断念しました。
川崎球場は最近ではアメフト場になっているようで野球場として利用されているのかが非常に気になっています。これは次回以降に持ち越しとなりました。
この長いレポートを辛抱強く?(笑)読んでいただいた方々、どうもありがとうございました。
またいつか関東に遠征できることを祈念して終了いたします。
お世話になったメンバーさん全てに感謝いたします。
入場できなかったので外から撮影しました。ネットがあるのでこれが限界です。
看板は「駒沢野球場」ですが、正式には「駒沢オリンピック公園総合運動場硬式野球場」という非常に長い名称だそうです。
メインの陸上競技場。
補助競技場。
「初代」駒沢球場は写真4枚目の陸上競技場と5枚目の補助競技場の中間部くらいに建っていたそうです。
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