消えた球場(16) 宝塚球場

  • Mr.black
    2010年11月29日 16:55 visibility5250

 

兵庫県宝塚市。この地名を聞いて多くの方が連想するのは「宝塚歌劇」とそれを上演する「宝塚大劇場」でしょう。

しかし、かつてこの近くにはプロ野球場がありました。宝塚球場です。(「宝塚運動場」というのが正式な名前?)

 

この球場が出来るきっかけはまず大阪の豊中グランドで開催された中等学校の野球大会(後の全国高校野球選手権大会)です。当時関西には大きなスポーツ施設がなく、そのためこの豊中グランドで野球やサッカーなど学生スポーツの大きな大会が開催されていました。


しかし「グランド」という言葉で分るようにちゃんとした観客席が無く、大勢の観客を収容出来なかったために新たに建設されたのが「宝塚運動場」だったそうです。(以下、「宝塚球場」と表記。)

 

この「豊中グランド」も「宝塚球場」も所有していたのは阪急でした。


そして阪急は「宝塚歌劇」、「宝塚温泉」、「宝塚球場」などを集約することにより、郊外のこの地を一大リゾート地にしようと計画していたようです。一方で沿線の住宅開発なども積極的に行いました。(これにより豊中グランドは消滅。)


それは「芸術」、「スポーツ」、「文化」、「娯楽」、あらゆる面で沿線各地を豊かにしようとした小林社長と阪急グループの壮大な計画でした。

 

そしてちょうどこの頃、東京では関東大震災が起こりました。この時、本拠地「芝浦球場」を失って解散した日本最初のプロ野球チーム「日本運動協会(通称:芝浦協会)」を再結集して関西に誘致。


宝塚球場を拠点にして新たに「宝塚運動協会」を作りました。早くからプロ野球に着目していた小林一三阪急社長はこの宝塚協会を軸にして関西に鉄道リーグ(プロ野球リーグ)を創設するつもりだったようです。


しかしまだ日本でのプロ野球立ち上げは早すぎたようで数年で頓挫しました。

 

その後、読売が中心となってようやく日本にもプロ野球リーグが完成。

阪急はこの時、再びチームを結成。それが「大阪阪急野球協会(通称:阪急軍)」、後の阪急ブレーブスです。(現:オリックスBs)

 

小林社長は「宝塚運動協会」の失敗で学習したのでしょう。


「郊外」から「市街地」へと本拠地を移転することを計画。西宮北口駅の南側にアメリカ大リーグのような白亜の巨大スタジアムを建設し、その完成とともに阪急軍の本拠地を宝塚から移転させました。これが後の「阪急西宮スタジアム」です。(当初は「阪急西宮球場」。)

 

これにより役目を終えた宝塚球場は取り壊され、跡地には「宝塚映画撮影所」が造られました。この場所は更に後年、「宝塚ファミリーランド」という遊園地になり、遊園地が閉鎖された後、現在は「宝塚ガーデン」などになっています。時の流れに翻弄されるかのように次々とその姿を変えていった「宝塚球場跡地」。


ここがかつてプロ野球場だったという痕跡は全くありません。

近くにある「宝塚大劇場」だけが今でも隆盛を極めています。

 

「野球文化」の伝承・・・・・これは誰が引き継いでいってくれるのでしょう? 球場跡地に行くといつもそう思います。

特に跡地が野球場の面影と痕跡を全く失っている場合はその思いが強いですね。

 

 

宝塚球場で練習する選手たち。

ユニフォームのマークが読めないのでこのチームが「宝塚運動協会」なのか「阪急軍」なのかは分りません。

おそらく「阪急軍」だと思いますが。これは後日再度確認してみます。


なお、後ろに見えている日本風の家屋は選手のクラブハウスらしいです。いかにも時代を感じる建物ですね。(笑)

 

 

球場跡地の現在の様子。

宝塚ガーデン。

 

 

球場跡地に造られた遊園地、「宝塚ファミリーランド」。しかし同遊園地も消滅。

その痕跡を唯一残しているメリーゴーランド。現在でも稼動していました。300円で乗れるようです。

 


 一大リゾート地計画の中で唯一残っている「宝塚大劇場」。


現在はどうなのか分りませんが、歌劇も一時期は阪急グループの中で結構な赤字を生み出していて、グループ内では「ブレーブスはドラ息子、歌劇団はドラ娘」と言われていたらしいです。(汗)

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