消えた球場(17) 西宮 その3

  • Mr.black
    2010年12月01日 13:15 visibility1840

 

昨年レポートした西宮球場跡地の「西宮ガーデンズ」。

しかしその時、事前のリサーチ不足だったのでいろいろと見落としたことがありました。そこで先日現地再訪したわけです。


まず一枚目は4階屋上庭園にあるホームベースのモニュメント。

大阪球場跡地の「なんばパークス」と同じく、かつて球場のホームベースがあった位置に合わせて埋め込んであるモニュメントです。(もっとも4階なので高低差はありますが。苦笑)


これは前回のレポートの後でマイヤキューの「あおいちぱんだ」さんが教えてくださいましたので再訪するにあたりチェックしてみたのです。


ホームベースの跡を見ると物悲しくなってしまいますが、この場所に球場があったという証拠にもなるのですから大事にしないといけませんね。

 

 

こちらはガーデンズと道を挟んだ北側に造られた記念碑代わりのプレート。

以前藤井寺球場跡地のレポートの時に「跡地には球場の写真などかつての姿が分る物を残して欲しい」と主張しましたが、やはりこういう感じにしてくれるのが一番いいです。


さすがに阪急と南海はそこらへんのファンの心情を汲んでくれています。

それに比べて我らが近鉄は・・・・・・(逆に「らしい」と言えば「らしい」のですが。ケチなのか球団と球場に愛着が無かったのか・・・・・。以下自粛。)

 

 

完成当初の西宮球場。およそ野球場には見えないこんなに優雅な姿をしていたのですね。

外観は関西のプロ野球場では最も好きなデザインでした。

 

 

阪急の小林一三社長。(リニューアル時に写真が横向きになってしまいました。)

この方あったればこその阪急ブレーブスと西宮球場。頭が下がります。

 

 

しかし、その物語が終了する時がやって来てしまいました。

阪急の身売り話が出た時には「まさか阪急が・・・・・」、と絶句した記憶があります。

南海と近鉄ならばあり得る話でも阪急だけはあり得ないと思っていましたので衝撃を受けました。私にとって「阪急」というブランドはそれほど大きかったのです。


西宮球場の閉鎖が決まって最後に関西学生リーグ(大学野球)を観戦に行った時には写真を撮りながら涙が出そうでした。

サヨウナラ、西宮。

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