「縦じま」ブレーブス
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Mr.black
2019年05月30日 12:50 visibility1577
今月は大阪ドームにて2回「KANSAI CLASSIC」が実施されています。
前回は近鉄の赤ユニ復刻。そして今回は阪急&南海復刻です。
阪急は故・西本幸雄監督時代の復刻だったので「何とか1試合だけでも見たい」と思い、仕事を早退させてもらいました。まあ、こういうことは滅多にしないのでスムーズに話が通りました。(笑)
↑ それにしても南海の「NH」マークはいつ見てもカッコイイ。
阪急のユニは1970~71年に使用されたモデル。
前回も少し触れましたが、阪急のユニとして世間で一番認知されているのは黒・白・赤の3色ユニです。しかし私が初めて見た時は縦じまユニだったので、この復刻は実に懐かしく、かつ嬉しかったです。
(初めて見たのはこの一つ前のモデルでしたがね。でも同じく縦じまです。後述。)
写真では薄めのアイボリーに見えていますが、実際には濃いめのクリーム色ユニです。
そこに黒の縦じま。(ストライプが見えにくいですが。)
帽子マークは「H」、胸マークは筆記体の「Braves」。
袖とサイドのラインは黒の縁取りのあるオレンジ。
この当時、プロ野球のユニは黒とオレンジを採用しているチームの割合が高く「どこも巨人みたいだ」と揶揄されていました。巨人がV9の真っ最中だったので「あやかりたい」という意図があったのかもしれません。
↑ この写真の方がユニのデザインがよくわかりますね。(スタジアムDJガールです。)
余談ですが、この一つ前のモデルは袖とサイドのラインが無いシンプルなデザインでした。胸マークのオレンジ縁取りも無し。
地色は白。そして縦じまの色を当時私は黒と思っていましたが、どうやら濃いグレーだったようです。
(後日のTV録画映像を観ると「白地・グレー縦じま・袖ライン無しユニ」を着用している年配の方がスタンドにいらっしゃいました。きっとそのデザインに対する思い入れのある方だったのでしょう。)
↓ 下がそのデザイン。阪急西宮ギャラリー内に展示されています。多少アイボリーっぽく見えていますが、白地だったそうです。年月の経過でこういう色合いになったのかもしれません。
一方のホークスも同じく1970年~71年当時のデザインを復刻。こちらに合わせてくれたのでしょう。
ビジターのグレーユニにダークグリーン基調。胸には「NANKAI」。
鶴岡一人監督時代のユニとほぼ同じデザイン。違いは肩にラインが無いことくらいですね。
この時期の南海には紆余曲折がありました。
1968年限りで「親分」鶴岡監督が勇退し、飯田徳治監督になった時にユニをモデルチェンジ。ところが名門・南海がまさかの最下位に沈んでしまったのですね。
責任を取って飯田氏はたった1年で辞任。翌1970年から野村克也監督になるのですが、ゲン担ぎでユニもモデルチェンジ。かつての黄金期のユニに近いデザインにしたわけです。
チームが低迷した時にかつての黄金期のモデルを復刻、あるいは似たデザインにすることはよくありますね。このモデルは正にそうだったのです。
↑ おまけ。これは広島県呉市にある「鶴岡一人記念展示室」にある南海ユニ。ただし、これは杉浦忠氏が着用していたユニだそうです。
この記念展示室は呉二河球場のすぐそば(レフト場外の建物の1階部分)にあります。
試合は3-1で「阪急」の勝ち。ヒーローインタビューは小田選手(50)と山本投手(43)。
ちなみに小田選手の背番号「50」はかつて西本監督が着けていました。昔からの阪急ファンにとっては何か感じるものがあったと思います。私も「不思議な巡り合わせってあるんだな」と感じました。
(なお、近鉄監督時代の背番号は「68」)
試合終了後は阪急の球団歌が3番まで流されました。こういうイベント試合ではホームチームが勝った方が断然いいですね。ラッキー7では1番しか流れないので、勝たないと3番までは聞けないのですから。
2番の歌詞はすっかり忘れていましたが、3番を覚えていたのは自分でも意外でした。(苦笑)
<追記>
結局この「阪急復刻」では1勝2敗。唯一の勝ちゲームに当たって幸運でした。
近鉄にとって阪急は「優勝する為には絶対に乗り越えないといけない強敵」でした。
そして私にとって阪急は単なる強敵というだけでなく「一種の憧れに近い感情を持って見ていた王者」だったのです。更に西本さんが阪急から近鉄にやって来て優勝に導いてくださった縁から仲間意識みたいなものもありました。
西本監督最後の公式戦が奇しくも「近鉄ー阪急戦」(@:日生球場)で、試合後両軍選手が揃って同氏を胴上げしたシーンには感動しました。
なので阪急の身売りには当時愕然としましたね。ある意味「近鉄消滅」よりも衝撃的でした。
今回の復刻試合観戦には様々な思いが湧きあがりました。
「さらば宿敵・阪急ブレーブス」。
そして近鉄ファンということを度外視して個人的に「これぞ大阪のプロ野球チーム」と思っていた南海ホークスへの敬意も思い起こすことが出来ました。
「さらば大阪の誇り・南海ホークス」。
当時「ブレービー」はまだ存在していませんでしたので、この日は勿論登場せず。
そしてブルとベルは「阪急復刻」に配慮したのだと思いますが、フィールドには出ないでスタンドでひっそりと応援していました。我慢してね~。
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- 事務局に通報しました。
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