消えた球場(41)「南海野村監督」の復活(大阪球場)
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Mr.black
2021年03月02日 13:01 visibility2121
以前から難波方面に用事で出かけ、なおかつ時間に余裕がある時に立ち寄っていた場所が存在します。
それは「なんばパークス」9階の「南海ホークスメモリアルギャラリー」。大阪球場の跡地に建設されたというのは有名ですね。
ただ、コロナが日本国内で広まってからはミナミ周辺で用事があってもそれが終わったらサッサと帰り、立ち寄るのは我慢していました。
しかしこの度2月末で大阪の緊急事態宣言が解除されたこともあって久しぶりに立ち寄ることにしました。
タイミングが良かったのは最近ギャラリーがリニューアルされたこと。
報道でご存じの方も多いと思いますが、南海OBの江本孟紀氏の尽力などで故・野村克也氏の展示が実現したのです。それ以前は諸般の事情で野村氏に関する展示は一切ありませんでしたから、これでようやくこのギャラリーが完成したと言ってもいいでしょう。
南海歴代の名選手の写真パネルも以前とは変わっていました。
鶴岡一人氏と野村克也氏、最後にいろいろあった二人の写真が並列されているのは複雑な気持ちでした。
でも「この二人あってこその南海ホークスの栄光だ。確執はいつか消し去らなければ。そのいい機会だったんだ」と思います。
そしてこれが今回リニューアルの目玉。新しく加わった野村氏の展示です。
ユニフォーム・キャッチャーミット・バット・ボール・三冠王の記念盾などが飾られました。
このユニフォームは野村政権時代の最後のデザイン。
南海ユニの基本カラーは濃いグリーン。しかし野村監督時代の後半は明るいパステル調のグリーンに変更されました。当時パ・リーグは人気が低迷していたので、もしかしたら少しでも明るい雰囲気をファンに提供したいと思ったのかもしれませんね。
ちなみにこのユニは1977年(昭和52年)の1年間のみ使用されたデザイン。それ以前は緑と黄の2色だったのを赤を加えて更に華やかな感じにしてあります。
そして個人的に最も見たかったのがこの左袖のマークでした。
このマークには「野村監督解任」の象徴とも言えるエピソードがあります。
南海にはそれ以前、球団のマスコットやペットマークという物はありませんでした。そこで野村監督主導でデザインされたのがこのマーク。鷹の胸にある「Hawks」は実際の球団ロゴマークとちょっと字体が違っていますね。登録商標上の都合があったのかもしれません。
ペットマークはその時のユニデザインによって色のパターンが変化した(濃いグリーン・黄土色・オレンジ等)ようですが、採用されて以降はずっとユニの左袖に付けてありました。
このユニは監督解任後~新ユニ採用までの短い期間、球団内で引き続き使用されていたのですが、その時にはペットマークがはぎ取られていたそうなのです。(※)
「野村色」を消し去りたかったのでしょうね。ユニフォームのデザイン変更には時々そういうどす黒いものが渦巻きます。
(※)ユニフォーム研究家・綱島理友氏がとある選手に見せてもらったユニの左袖にはマークをはがした跡が残っていたとのこと。これは当該選手ではなく球団側の措置だったようです。
そういうこともあって今回このマークを是非とも直接見たかったのです。
行く前の予想では刺繍かアップリケみたいな物かと思っていましたが、樹脂製(エナメル素材?)のようでこれは意外でした。復刻物ですかね?
「野村監督のホークス時代の所有物は見られない」と諦めていましたが、今回江本氏など多くの方々の尽力で実現したリニューアル。良かったです。
展示物以外で貴重なのはやはり映像資料。阪急のギャラリーと同じくいろいろな映像を観ることが出来ます。
上は大阪球場でシーズンオフなどに開催されていた中古車販売の様子。実際に見たことがあるので懐かしかったです。
こちらはちょっと悲しくなる映像ですがね。
野球場としての利用が終わった後ではこのように住宅展示場になったのです。その他ミュージカル「キャッツ」のテント劇場があった時も。野球場バカの私にとってこの時期は切なかったです。
ところで私が応援していた近鉄は球団合併&消滅後こういう物を非常におろそかに扱いました。
なのでなんばパークスや阪急西宮ガーデンズに行くと毎回「羨ましいし悔しい」と思います。時々ここに来るのは「歴史を残すことの意義」を再確認したいからです。
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