自己紹介 こじっくです

 


 


 新しい船出の朝です。


 


 こじっくと申します。よろしくお願いいたします。


 


 このハンドルネームの由来は、小学校5年の時、友人6人と結成したグループの名前からです。4半世紀前は6人でこじっく、今はひとりでこじっくです(さみしい)。今でも「元こじっく」のメンバーの2人とは飲み友達です。ひとりはアマチュアのバイクレーサー、もうひとりは僕と同じ野球ファンです。


 


 野球!僕にとって欠かせない人生の要素です。


 


 野球は僕の「憧れ」であり、「癒し」であり、「あらゆる物事を例えて考える時の題材」・・・つまりは僕にとっての「夢」です。


 


 僕と野球の出会いは小学校4年生の夏休みに参加した「喘息キャンプ」のソフトボール。


 


 そこから野球に興味を持ち、阪神タイガースのファンとして野球を見るようになりました。


 


 生来の運動音痴で、体育の時間以外が身体を動かすことを苦痛に思っていましたが、中学3年の春休みに、市川高校(山梨県)の樋渡卓哉選手がセンバツで活躍される姿を見て感動。


 


 高校は心機一転でフェンシング部に入部しました。


 


 高校3年間はフェンシングに取り組みました。


 


 高校卒業後の人生は紆余曲折がありまして・・・。


 


 苦しい時も野球を見ることが心を支えてくれました。


 


 26歳の時、介護福祉士の養成校に入学。遅まきながら人生の方向性を見出しました。


 


 この時のアルバイトで家庭教師を務めさせて頂いた生徒さんでボーイズリーグの選手がおられました。


 


 彼とは勉強をせずに毎回野球の話ばかりしていました。


 


 その後、彼は高校生になり2度も甲子園の土を踏み、2度目の出場時には先発のマウンドまで務めました。


 


 彼は今、大学でプレーを続けています。


 


 彼の試合を見に行くことが今の僕の最大の楽しみかも知れません。


 


 28歳である知的障害者の方々の団体に関わらせて頂き、知的障害を持つ皆さんと一緒にボールを追いかける中で「野球」への思いが更に高まりました。


 


 その団体での活動を30歳の時、志半ばながら辞することになりましたが、入れ替わりで僕が情熱を燃やすことになったのは職場の仲間との「草野球」!


 


 チームを立ち上げ、仲間と白球を追いました。


 


 33歳の時に今の職場に転職してチームを去り、引退・・・蛇足ながら引退の半年後に結婚しました。


 


 結局「野球部」というものに一度も所属しない人生でしたが、自分なりに納得しております。


 


 次、もし生まれ変わることができたなら・・・。


 


 女性に生まれたらフェンシング選手になりたい。高校、大学とフェンシングに取り組み、高校教員になってフェンシング部の監督になりたい。


 


 そして、男性に生まれたら、もちろん野球選手!!小学校、中学校、高校、大学と野球部でプレーして、高校教員になり高校野球の監督になりたい!


 


 最後に、好きな野球チームは・・・。


 


 プロ野球は阪神タイガース。


 


 大学野球はびわこ成蹊スポーツ大学、京都大学、同志社大学、立命館大学。


 


 高校野球は、北大津高校、龍谷大平安高校、立命館高校です。


 


 でも、「気」にあふれるいいチームなら無意識にどこでも応援してしまいます。


 


 こんな私がこじっくです。


 


 今後ともよろしくお願いいたします。


 


 


 


 







































































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