我的愛球史 第51話 「プリンス旅立つ」


 (写真と記事は関係ありません)

 2000年の阪神タイガースは懸案の長距離砲の獲得はなりませんでしたが、FAで星野伸之投手を獲得。

 実績ある星野投手にファンは大いに期待しました。

 「投球術に秀でた星野投手なら、30歳を越えての入団でも長く阪神のエースを張ってくれるのではないか」

 そう思ったファンは多かったのです。

 しかし、開幕投手として横浜スタジアムで投げた星野投手は早々と降板。

「抑える時は見事だが打たれる時は完璧に打たれる・・・」

 元々球威のない星野投手に関して野村監督の不安が的中したようなスタートとなりました。

 しかし開幕戦こそ落としたものの、阪神は決して悪くないスタートを切ります。

 4月13日から27日まで1分挟んで9連勝。

 ここまで12勝7敗1分。

 しかも4月27日は藪恵市投手が広島を延長10回完封で1-0のサヨナラ勝利。

 ファンは野村阪神の2年目に「今度こそは!」との思いを強くします。

 だけど、そこまででした。

 その後、6連敗。

 以後、浮上のきっかけをつかめないまま、シーズンだけが進んでいきました。

 それでもこの年の阪神は粘り強く戦う姿勢を見せ、延長戦が11試合で5勝5敗1分。

 勝ち星も前年より2つ積み上げて57勝78敗1分と僅かながらチームの成長が伺えました。

 これにはチーム防御率の改善が大きかったと思われます。

 後半戦には井川慶投手もデビューしました。

 しかし、この年、最もファンの夢に応え、そしてファンを大きく悲しませたのも新庄剛志選手でした。

 新庄選手はほぼ1年を通して4番に座り、.278、28本塁打、85打点と堂々たる成績を残します。

 当然ベストナインも手にし、まさに充実の年でした。

 そして、新庄選手はベストナインとともにFA資格もこの年に取得していました。

 「永久猛虎 新庄剛志」

 最終戦にこんな横断幕が掲げられ、これからの新庄選手が全盛期を阪神でプレーしてくれる・・・その願いをファンは皆持っていました。

 ところが、FA資格を取得した新庄選手がオフに明らかにした人生の選択は意外なものでした。

 ニューヨーク・メッツへの移籍。

 1054試合出場、.274、145本塁打、518打点。

 その打撃成績と同等以上の守備での貢献、そしてファンに与えてくれた無限大の夢を甲子園のフィールドに残して、プリンスはアメリカの大地へと旅立って行ったのです・・・。

 

 





























































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