僕の甲子園物語 第10話
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こじっく
2010年05月19日 21:54 visibility119
こうして春のセンバツ初出場そして初勝利を果たしたK高校は4ヵ月後の夏予選は初戦敗退という予想だにしなかった結末に終わった。
しかし、どの高校にとっても、夏の予選の終わった翌日からは春のセンバツに向けての挑戦の日々と化す。
K高校も始動した。
目指すは2年連続の春のセンバツ。
しかし、高い目標を果たすには、必定苦難の道のりが伴う。
ここにK高校地獄の練習試合の夏が始まった。
7月31日の東大津高校との練習試合を皮切りに、8月29日の伊香高校戦まで実に45試合!
32勝12敗1分。
さすがにほとんどの試合がダブルヘッダーであるが、それにしてもすごい試合数。
高校野球って、分かっちゃいたけど、やっぱりこんなにハードだったんだ。
強豪福井商業とも1勝1敗の五分の星。
これはチームに力が付いている証。
ちなみに、あとで何かのインタビューでS君が話していたと記憶しているが、S君がこの夏休みで
投げなかった日は
「1日だけ」
だったそうである・・・壮絶。
しかし、僕はそんなことを当時は知らなかった。
あとで高校野球の専門誌や地元の新聞を読んで知ったことである。
当時、僕は社会福祉士の受験資格を取るために福祉施設に実習に行っていた。
このため、週3日働いて4日実習に行くという生活をしており8月の休みは確かポツン、ポツン・・・という感じで3日しかなかった。
S君に比べたらまだ楽チンであるが、奇しくもS君と同じような気持で夏を過ごしていたとは・・・今思えば、ちょっと嬉しい。
僕にとってもハードな夏になってしまったが、僕がどうしてそんな夏を乗り切れたか、それは高校野球と言う活力源があったからだ。
そう!ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手に僕も熱狂的な拍手を送っていた。
大阪桐蔭中田翔を三振切り、そして駒大苫小牧との決勝再試合・・・。
当時の気持としては「斎藤君に比べたら僕はまだまだ楽」というものだった。
僕が実習に行った福祉施設にはなぜか休憩室に「あぶさん」が1巻から置いてあり、僕は休み時間のたびにむさぼるように読んでいた。
野球が活力源だった。
僕はご飯を食べるのと同様に、野球エネルギーを摂って生きていることを実感していた。
人間って、本当に好きなものはどんなにしんどくても楽しめる。
まだ本当に死ぬほどの経験はしたことがないが、極端に言えば、死の直前でも野球中継は見るだろう。
また、僕の実習指導教官の方が、元高校球児だった。しかも、元中学野球部の顧問もされていたことのある方だった。
自然と野球の話になった。
しかし、ここでは僕は野球の話以上に、生き方について教えて頂いたことが印象に残っている。
正直、叱られたこともあった。
叱られる実習生というのは珍しいと思う。
僕は当時、実習に来ながらも、福祉の仕事を辞めることを考えていた。
この実習と社会福祉士の試験を最後に、この仕事を辞めよう。だから、最後のつもりで最大限がんばろう・・・。
今思うと訳の分からない論理だが、本気でそう思っていた。
僕は、同じ野球好きであることとその先生の優しさに甘えてしまい、その気持を指導教官の方に打ち明けてしまった。
当然「そんな気持で来てはだめだ!」と叱られた。
ご自身の中学野球部顧問時代の辛かった話も交え、すべてをさらけ出して、ただの実習生でしかない僕のことを叱って下さった。
叱る目に涙さえ光っていた。
僕は叱られている当時は叱られたショックしか感じていなかった。
しかし、今も僕が福祉の仕事を続けているのは、この指導教官のお陰である。
こうして、S君にとっても、僕にとっても熱い夏が終わった。
汗も涙も流した夏の後には必ず栄光の秋が待っているはず・・・さて・・・。
(写真と記事は関係ありません)
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