僕の甲子園物語 第4話
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こじっく
2010年05月09日 09:21 visibility100
こうして、僕の「勉強を教えずモチベーションを上げる家庭教師」は続いた。
楽しい野球の話は授業時間90分のうち、80分にまで及ぶというやり過ぎ状態が続き、S君の成績は一向に上昇カーブを描くことはなかったが、ご両親は苦情の一つも言わず僕に任せてくださった。
これには今だ深く深く感謝しています。
本当に楽しい日々だったのだが、悲しい現実があった。
僕は野球経験者ではない。
だから、S君の野球のプレーの話にはついていけないのである。
「昨日の試合で低めの球が打てなくて・・・」
「掬い上げたらあかんの?」
「先生、だめに決まってるでしょ!!」
という具合である。
「昨日の練習で、初めて打った球がフェンス越えていったんですよ・・・」
S君が顔を輝かせて言う。僕はただただ羨ましかった。・・・・俺なんて一生味わえない感覚だよな・・・と。
「野球やってて、一番嬉しい瞬間は、投げててバッターから空振り獲った時なんですよ」
S君はピッチャーを任されるようになっていた。
「サイドに近い感じで腕を下げて思い切り振る。そしたら球がスーっと伸びていって低めに決まる・・・。あ〜この感覚忘れたらあかんな・・・」
こういう話をする時のS君の顔は、夢みているようだった。本当に羨ましかった。
S君はサウスポーだ。
僕は一度、鉄道忘れ物市で左利き用のファーストミットを買ったことがあった。お値段たったの900円。しかも、硬式用だ。こんな大事なもの、誰が忘れたのだろうか?JRに問い合わせて取り戻せよ!!と思うが、僕が買わせてもらった。
その話をすると、S君の顔が輝いた。
「先生、右利きですよね。じゃあ、先生は使えない。僕、投げない時、ファースト守ることにします。もらっていいですか?」
もちろん、僕に異論などあろうはずもない。
僕が贈ったファーストミットを嬉しそうはめるS君を見て、お母様が訊ねられた。
「あの・・・先生、本当にありがとうございます。でも、どうしてこんなにSを応援してくださるんですか・・・」
僕は答えに困った。でも、正直に言わないといけないと思った。
「僕は、自分が一番好きなものが何か、S君の年代の時に知っていました。でも、僕はそれを部活に選んですることがなかった。素直に自分の好きなものに真っ直ぐ向かっていくS君が好きなんですよ・・・」
そうなのだ。僕も野球がしたかったのだ。甲子園を目指したかったのだ。
もう、これ以上ないぐらい正直な気持だった。
僕はS君を中3まで教えることはできなかった。
S君の中2の終わりに就職のため家庭教師を辞めさせて頂くことになった。
僕はS君に謝った。
「ごめん。勝手な理由で辞めることになって。それと、S君が頑張ったのに、ちゃんと勉強教えられなくて本当にごめん。
「いいんですよ。先生が病気になって辞めなくちゃいけない、とかだったら残念だけど、お仕事が決まったんだから嬉しいことじゃないですか。今までありがとうございました。」
この会話、どちらが大人か分からない。
もう、この時点でS君の方が上を行っていたと今振り返って思う。
一生懸命にひとつのことに取り組む人と、自分から回り道ばかりして迷走しながら毎年少しずつしか前に行けない自分の違いなんだろうな・・・。
しかし、僕は最後の日にS君に鉄道忘れ物市で100円で買った英和辞典を置き土産として渡すことも忘れなかったのである。
ふふふ、S君、ちょっとは大嫌いな英語、勉強してくれたかな???
(写真と記事は関係ありません)
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- 事務局に通報しました。
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