我的愛球史 第12話 エースの名は宇宙


(写真と記事は関係ありません)

 1987年のプロ野球の話はほぼ全部、僕としては心残りなく書くことができた気がしますが(阪神のことがあまり書けないのが悲しい・・・最下位だったから・・・)、僕の大好きな高校野球についても書きたいと思います。

 この年はPL学園が春夏連覇。

 春の優勝の放送は、家族で行った彦根古城博覧会の会場に出ていた屋台のラジオから聴こえて来ました。

 桜の下で聞く、近畿勢優勝のニュースは格別のものがありました。

 夏は、午前中に塾に行った後、家で試合開始から終了まで全部見ました。

 立浪選手と片岡選手のバッテイングと、決勝戦で投げた岩崎選手のピッチングが鮮烈な印象を残しました。立浪選手は守備が非凡と言われていましたが、野球を見始めて日の浅かった僕がすごいと思ったのはバッテイング。確かに立浪選手はプロ入り後2000本安打を達成され、中日の4番も張った大打者。甲子園でもその片鱗を十二分に見せてくださったと思います。

 そして、この甲子園で僕が最も夢中になった選手は、帝京の芝草宇宙選手でした。

 東北高校戦でのノーヒットノーラン。

 その瞬間をテレビで見ることは出来ませんでしたが、スポーツニュースでこの偉業達成を知り、興奮しました。

 NHKのスポーツニュースで、キャスターと一緒に甲子園球場の周りを散策しながらインタビューを受けておられる姿が、何と言うか・・・かっこよかった。

 惜しくも帝京高校は準決勝で敗退し、優勝はなりませんでしたが、僕が始めて憧れた高校野球の選手は芝草選手だったと思います。

 秋のドラフトでは、同じく準決勝まで勝ち進んだ東亜学園の川島堅投手が広島カープの1位指名だったのに(阪神も1位入札しましたが外れて野田浩司選手を指名)、芝草選手は日本ハムの6位指名。

 僕はドラフトで順位が決まる基準という物が全く見えなくて(今でも分かりませんが)、なぜ川島君が1位で芝草君が6位なの?と軽いショックを受けました。プロ野球の厳しさを知った瞬間だったかもしれない。

 芝草選手は背番号は29番といういい番号を球団から与えられましたが、これが芝草選手への「下位指名でごめん。でも期待している」というメッセージのように感じられました。

 でも後年、芝草選手がプロ初勝利を完封で飾った時、嬉しかったな・・・。

 その後も長く、芝草選手は先発に、中継ぎに活躍されチームに貢献されたのでした。































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