我的愛球史 第5話 キヨマーの活躍


 僕が日課として毎朝、新聞のスポーツ欄を読んで学校に行くようになったのが1986年。

 その年、一番の話題といえば、西武ライオンズ清原和博選手の活躍でした。

 春先は新聞のホームランランキングの最後の方に出ていた清原選手が、シーズンが深まるごとに順位を上げていき、最後は31本塁打で大洋ホエールズの桑田武さんが持つ新人最多本塁打記録に並んだ。桑田武さんは大学を経てのプロ入りだったので、高卒新人としては清原さんがトップ。

 文句なしの新人王。

 世は清原さんのブームに沸いた。

 吉永小百合さんが西武球場で応援されている姿がスポーツニュースでよく流れた。

 吉永さんだけでなく、野球ファンのみんなが清原さんを応援しているように思えた。

 やはりホームランは野球の華。

 PL学園の後輩の立浪選手も3年後、高卒ルーキーながら華麗なショートの守備で活躍して新人王を獲得するのですが、印象の強い新人王と言えばやはりホームランの清原和博選手でしょう。

 西武は0勝3敗1分から4連勝して日本一。

 球団も清原選手の勢いをもらってミラクルを起こした、僕はそう思ってしまいました。

 あの頃から知っていた「キヨマー」というニックネーム(最後は誰もそんな呼び方しなかったが)、今調べたら当時阪急ブレーブスで活躍していたブーマー選手にあやかったものだったらしいです。それだけブーマー選手がすごかったんでしょうね。そういえば、その頃ブーマー選手が後楽園で打ったホームランをグラブを持ったお客さんがキャッチした映像がNHKの7時のニュースの映像で流れていました。あれはすごかった。

 清原さんの陰に隠れた・・・という訳では絶対にないが、もうひとりの「K」、巨人の桑田真澄さんもこの年2勝をあげた。今思えば堂々たるプロ生活のスタートだが、大方の話題は清原さんが持っていった感がありました。それが翌年・・・、これはまた記事を改めましょう。

 そして、忘れられないのが、この年で引退された山本浩二さん。

 日本シリーズ優勝で花道を飾ることができず、残念でした。

 選手として最後の出場になった日米野球でもホームランを打ち、メジャーリーガーから「印象に残ったのは山本浩二選手」とインタビューで名前を挙げられていました。

 こんなにすごいことができるのに、何で辞めるの?

 僕はそう思いました。

 先日GEORGIAのベースボールカードで山本浩二さんのカード入手しました。かなり嬉しかったです。

 ここまで全く書いていませんが、わがタイガースの1986年は・・・!

 思えばここからが長いトンネルの始まりなのでした・・・。

 

 
 












































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