クラスメートだったエース
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こじっく
2010年04月29日 20:45 visibility153
僕が高校2年だった時の話だ。
1学期の僕の席の前は硬式野球部のエースM君だった。
球威はさほどでなくても、コントロールと変化球で打者を打ち取るサイドスロー。
しかも、野球以外の場面では面白いことを言ってクラスを笑いの渦に巻き込むムードメーカーだった。
その当時、阪神が優勝争いをしていて、亀山・新庄が大活躍。虎フィーバーが起こっていた。
虎キチの僕は阪神の試合結果に一喜一憂していて、学校でもほとんど阪神の話しかしなかった。
それで、M君と仲良くなった。
僕はM君から投手の心構えを教えてもらった。
「いいか、本当のストレートってのはな、全ての変化球に勝るんだ。打者から見たら浮き上がって見えるんだぜ。でもな、本当のストレートなんて滅多に投げられるもんじゃない。大抵の場合、おかしな変化がかかるんだ。だから打者には球が見えて打たれる・・・。」
「変化球なんて、本当は1種類あればいいんだ。ストレートとチェンジアップ。でも、この二つが完璧に投げられないから色々変化球を覚えるわけよ」
「俺の決め球は『パナックボール』。パームボールとナックルボールの混じった球だ。これ覚えてから、面白いほど三振取れるんだ」
M君の野球の話はずっと聴いていて飽きなかった。
M君は休み時間のたびに購買部にパンを買いに行き食べていた。1人でヤマザキパンの景品の皿を何枚ももらっていた。昼休みはもちろん弁当を食べていた。こうしてきつい練習に耐える体力を養っていたのだろう。
そして、昼休みは練習に行っていた。
「M君、昼の練習、どんなことやってるの?」
「ソフトボール・・・」
今ではこれが嘘か本当か確かめようがない。
ある日、M君が顔を2倍ぐらいに腫らして学校に来たことがあった。
「昨日フィールディングの練習しててよぉ、監督のノックを顔面に食らっちまった・・・」
その日、M君はキャッチャーマスクをしてやはりノックを受けたらしい。
こうして、夏の大会が来た。
M君は組み合わせ抽選会の様子などを聴かせてくれた。
「1回戦、農業高校だった。農業高校って、実習があるんだってよ・・・」
果たして1回戦・・・M君の力投で勝つ。
M君、嬉しそう。
この頃、僕らは期末試験期間である。
勉強も頑張らないといけない状況下で、野球部のみなさんは大会のため合宿を張っている。
レギュラー以外の人は、チームのための仕事と勉強で2時間ぐらいしか寝ずに合宿から学校に来ているという話も聴いた。
2回戦もM君の奮投で勝つ。
そして3回戦・・・。
逆転負け。M君、残念ながらリードを守りきれず。
「この試合を勝ったらテレビに映ると思ったらさ・・・」
僕の住んでいる地方ではベスト16以上の試合はテレビ中継があったのだ。
M君は苦笑していたが、2年生エースとして内心は先輩達への申し訳なさでいっぱいだっただろう。
新聞には監督のM君への奮起を促す言葉が数行だが載っていた。
「Mはこれを糧に来年頑張って欲しい」
しかし、M君は次の夏の大会、登板することはなかった。
次の大会も我が校は2年生エースで臨んだのだった。
M君は2年生の夏のがんばりから故障してしまい、引退まで苦しんだようだ。
僕はフェンシング部で、小体育館で練習していると、たまにM君が入ってきて、壁の大鏡の前でフォームチェックをしていた。そういう姿を2学期からよく見るようになった。
夏の大会からほとんどM君から試合の話を聴くことはなくなったが、M君に故障があったとは知らなかった。
M君は故障をカバーするフォームを大鏡の前に自分を写して探していたのかも知れない。
3年生の時、背番号1は背中になかったとしても、僕の中で母校のエースはいつもM君のままだ。
(記事と写真は関係ありません)
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- 事務局に通報しました。
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