どうしても書きたかった記事 特攻に散ったプロ野球選手 渡辺静さん

 LABOLAで日記を書く習慣が4年間途絶えてしまいました。仕事が忙しくて、野球を観るゆとりがなくなり、やがてコロナ禍で休日は巣籠り。最後に球場に行ったのは2019年5月。まだ球場での観戦は果たせないままです。

 しかし、この4年間、ずっと日記にできず心に引っかかっていたのは、2018年3月に鹿児島へ神風特別攻撃隊の史跡を巡る旅をした時に知った、戦中のプロ野球選手 渡辺静さんのことでした。

 沢村栄治さんや景浦将さんなど戦火に倒れたプロ野球選手の存在はもちろん知っているつもりでした。

 神風特別攻撃隊として散華した石丸進一さんのことも知っていました。

 しかし、朝日軍の渡辺静さんのことは、この旅で知覧特攻平和会館に足を運んだ時に知りました。

 特攻隊員を紹介する展示で、渡辺さんの写真と遺筆を見ました。

 他の特攻隊員の方々は、家族やお世話になった方への感謝と祈り、そして祖国への思いを記されていることが多いように感じたのですが、渡辺さんの記された「修養録」という日誌にはこうありました。

 「野球生活八年間 わが心鍛へてくれにし 野球かな  大日本野球団 朝日軍 渡辺静」

 筆跡とともに、バットとグラブの絵が描かれていました。

 特攻を前にして、野球こそわが人生という思いが胸に湧き上がったのだろうと想像します。そして、簡潔に書かれたからこそ読む人の記憶に刻まれます。

 渡辺さんは大正13年(1923年)長野県に生まれ、昭和13年(1938年)に小諸商業学校に入学。投手を中心にほぼすべてのポジションをこなす万能選手として知られ、昭和18年(1943年)1月30日に朝日軍に入団。背番号20が与えられました。プロでの公式戦出場は2試合に終わり、同年秋に応召。昭和20年(1945年)2月1日に陸軍少尉に昇進。同年3月6日に特別攻撃隊に志願し、6月6日知覧基地を出撃し沖縄洋上にて散華。22歳の生涯でした。

 わが国において、戦争を体験した方が本当に少なくなっています。

 しかし、戦争の惨禍を語り継がれなければいけません。世界が平和になり、誰もが安心して野球をはじめスポーツを楽しめる日がきますように。

 

 

 

 

 

 

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