偽名選手列伝9

スライム食べながら
曲がった大学を酒癖で卒業し
吸い物と鮭にモノレール
大きな鮒汁っ子
っていうか椅子?
いいや医務
そしてアレを干したの心の友
ブダペスト二郎です。(otakeさんパクリました、謝謝)

ということでなんとびっくり6月にはいって4回目の日記となったぜ、
偽名選手列伝9
(MFパラグアイ 1969−2000 オリンピア→アルセナル(アルゼンチン)→ヤクルトスワローズ(日本)→オリンピア)

IQ180という高い知能とハードワークを誇ったボランチ。100mを11秒2で走るスピードもあり、高校時代にはサンイグナシオ高等学院で陸上部、サッカー部、レクリエーション部、天体観測部で活躍した。また、2年生で美化委員長と運動会の選手宣誓を同時につとめるという快挙を成し遂げ、一学期に樹立した「忘れ物22日間しない記録」は未だ破られていない。

高校3年時にオリンピアのトップチームでデビュー。しかし新人でありながら監督と戦術について揉め、10試合出場したところで退団を余儀なくされる。
テスト入団したアルセナルですぐにレギュラーを掴むがあとから入団した中国人選手学変に連れられて娼婦街を歩いていたのをサポーターに見つかり、それが連敗中であった為に応援のボイコット運動が起きて、これまた退団。

パラグアイ代表としてキリンカップに登場し、そのままJリーグで再起を図ろうとしたが何を間違えたか、東京ヤクルトスワローズのテストを受け、しかも合格。野村克也をして、「本腰で野球をやったらイチロー以上」という賞賛を受けるも春のキャンプで「やはりフットボールを忘れることなんか出来ない」と言ってアジアを去った。

祖国に戻り、最初のチームであったオリンピアに戻ると主力として活躍。98年のワールドカップメンバーに入ることは確実と言われていたが、急性水虫により19時間に及ぶ手術へ突入、一命は取り留めたものの、望んでいたフランスの地を踏むことが出来なかった。
フランスワールドカップは周知の通り、ガマーラ、アジャラ、そして英雄チラベルトらの「打倒水虫」を合言葉に堅い守備による快進撃を続け、優勝したフランスとの死闘は今でも人々の記憶に残っている。

再びピッチに立ったポカデスは99年シーズン、オリンピアの屋台骨として優勝に貢献したが、正月を迎え、日本で覚えた餅を喉につまらせ、不運な生涯を閉じることとなった。

以下名言集
ボ・ポ「もうだめだ、と思ったことはない。それは僕が決めることではない。ただ笛が最初に鳴ってから最後に鳴るまでピッチを走りまくるだけだ。それで負けたらそれは神様がそうなさったのだから勿論受け入れるだけだ」

ボポ「(ブラジルとの親善試合を終え)ロマーリオやロナウド、リバウドらうまい選手とやるフットボールは本当に楽しい。うちの守備陣じゃなかったら抑えることは出来なかったろう。ドゥンガはなにやら吠えていたけど、あいつ、選手としては素晴らしいが私服の趣味がね・・・」

ボ・ポ「自分の国以外で好きな選手はバルデラマ、リバウド、フランチェスコリ、レドンド、ロマーリオ。みんな自分には無いテクニックを持ってるからね。逆にヨーロッパの選手は上手いといわれる選手でもびっくりする様なことはない。」

以下証言
チラベルト「フランスワールドカップのときに彼が居たらと思うことは今でもある。たら、ればはフットボールに禁物と言うけど、たまには良いだろう?彼のことを思い出しても」

ガマーラ「彼が出たゲームではほとんど負けなかった筈だ。フットボールで何をやれば良いのか、私は彼に教わった気がする。まずい、ピンチだと思った時には必ず彼が現れた」

ロマーリオ「ゲームが終わればよく夜遊びに行ったな。ウマがあった。一度同じ女を取り合うことがあった。結果?俺はゴールを外したことがない」



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