偽・名選手列伝2

いや、もう多分ネタが出てこないというだけで
もしかしたらそのうち。

シュートフカスナヤ・ソリャーゼ・ツミョーノイチ
(1963生まれ〜 スパルタク・モスクワ1983−1990 ラピッド・ウィーン1990−1992)
華麗なドリブルと左足のパスに秀でたウイング。
代表入りを熱望する、とりわけモスクワのサポーターは多かったが当時のソ連監督ロバノフスキーとの確執から、一度しか呼ばれることはなかった。
180cmの長身でありながら56kgと細身で、技術と閃きとを駆使して活躍した。
「モスクワのマラドーナ」と呼ばれたときには、本人は「アルゼンチンのツミョーノイチ」とマラドーナを呼んだ。実際にはマラドーナよりも、ポジションは違うがレドンドに似ている、というマテウスの証言もある。
「ファイトしない」「タックルしない」「シュートが下手」などの批判を多く受けたがその何倍も
「アーティスティック」「美しい」という賞賛を受けた。
晩年は国外のオーストリアでプレイし、ケガで引退の際にはクローネン・ツァイトゥング紙にて
「モーツァルトが音楽でやったことを、ツミョーノイチはフットボールで成し遂げた」
と評された。
異常なほど酒好きで、革命前の家柄や優雅なプレイスタイルなどを鑑みて
「コニャック男爵」とモスクワサポーターは愛情を込めて呼んだという。
引退後はモスクワで小さな立ち飲み屋を開いている。

名言集
問「決定的な場面でシュートを外してしまった理由は?」
ツミョーノイチ(以下ツ)「どの場面を言っているかがわからない。いかなる意味でも決定的な場面というのが存在しないのがフットボールだ。だからフットボールは美しいのだ。そういう意味でも、僕は今日も美しいフットボールを見せることが出来たと信じているよ」

ツ(88年欧州選手権メンバーから外れて)「あのおじ様(ディナモ・キエフも率いたロバノフスキーのこと)には散々痛い目にあわせたから予想は出来たよ。ま、呼ばれてかつ断りたかった、ってのが本心だけどね」
ツ(引退後、94年アメリカワールドカップを見て)「ストイチコフ、バルデラマ、ロマーリオ、バッジョ。彼らのプレイは良かった。しかしあんなに暑そうなところでやるのは理解できない。僕が元気な頃で、たとえコニャック1年分くれると言ったってあんなところでフットボールなんてやるもんか」

彼のオーストリア時代を知るイビツァ・オシムの証言
「確かに技術やアイデアに並外れたものがあった。しかし走れない。守れない。美のために死ぬのは良くない。10年、20年前に生まれていればまだ良かったのかもしれない。しかしそうではなかった。まあ、世界中で何人かは美のために死んでも良いのかもしれませんが」


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