ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.225
-
K
2024年01月08日 17:13 visibility27
工藤 壮人(くどう まさと)
国籍 日本
生年月日 1990/5/6
没年月日 2022/10/21(32歳没)
出身地 東京都杉並区
身長/体重 177cm/74kg
ポジション FW(CF・ST・WG)、MF(RMF)
利き足 右
代表デビュー 2013年7月21日中国戦
主な出場大会 なし
プレースタイル
高い決定力と多彩なゴールパターンを持ち、体を張ったポストプレーや献身的な守備も持ち味とするストライカー。またストライカーらしい屈強なメンタリティを持っており、チーム事情によってサイドハーフも務める。
経歴
3歳の時に兄の影響でサッカーボールを蹴り始め、小学校4年の時に柏レイソルU-12へ入団。当時はサイドバックやボランチなどをこなすユーティリティープレーヤーで、小学校6年の時には全日本少年サッカー大会3位という好成績を収めた。その後は中学になるとジュニアユースに昇格。当初は出場機会に恵まれなかったが、中学2年の途中にFWへコンバートされ、中学3年の時にはチームのエースストライカーとして活躍した。その後はユースに昇格し、高校2年の時にはチームの主力FWとして得点を量産し、Jユースカップ準優勝に貢献。高校3年の時にはチームのエースストライカーとして日本クラブユース選手権大会準優勝に貢献。自身も同大会で6得点を挙げ得点王に輝いた。8月にはビジャレアル国際ユースサッカー大会に出場し、柏レイソルU-18の3位入賞に貢献した。
高校卒業後はトップチームへ昇格。2010年には3月のJ2第3節アビスパ福岡戦で公式戦初得点を記録すると、その後もリーグ戦で得点を量産しリーグ戦では10得点を記録。見事チームのJ1昇格に貢献。また同年にはU-21日本代表の一員としてアジア大会に出場し、同大会での金メダル獲得に貢献した。2011年にはシーズン序盤は北嶋秀朗や田中順也ら好調なFW陣の陰に隠れていたが、シーズン後半戦から出場機会を増やし、リーグ戦7得点を記録。クラブのJ1初優勝に貢献した。また同年に行われたクラブW杯でも3試合に出場し、オークランド・シティ戦で得点を記録した。
2012年にはクラブではエースとしての地位を築き、J1第19節のC大阪戦でハットトリックを達成するなどリーグ戦13得点を記録した。同年の天皇杯では準々決勝と準決勝で立て続けに決勝点を挙げるなどクラブ37年ぶりの天皇杯優勝に貢献した。2013年には北嶋秀朗の背番号「9」を受け継ぎ、リーグ開幕から好調を維持し、同年5月に日本代表に初選出され、7月に代表デビューを飾った。一方クラブではナビスコカップ決勝戦で決勝点を決めるなど活躍しクラブを同大会優勝に導くと、リーグ戦では19得点を記録。2014年にはチーム事情により右サイドでプレーすることが多く、得点数は減少したが、自身初となるリーグ戦全試合出場と同年のJリーグフェアプレー個人賞を受賞した。
2015年12月にはメジャーリーグサッカーのバンクーバー・ホワイトキャップスへの完全移籍が発表され、2016年5月には移籍後初得点を記録。しかし。その後の試合で重傷を負ったことにより2カ月間離脱するなど目立った活躍はできず。2017年にはサンフレッチェ広島に完全移籍した。移籍1年目にリーグ開幕戦で得点を記録したものの、2年でリーグ戦通算4得点にとどまった。2019年にはレノファ山口FCに期限付き移籍。しかし、ここでは27試合4得点と結果を残せず1年で期限付き移籍期間満了を迎え、広島からは今後の移籍先について契約交渉中である事が発表された。
山口退団後は数々の海外クラブのトライアルに参加するも不合格となり、その後は現役続行を念頭に母校である日本体育大学柏高等学校の練習に参加。2020年12月にはブリスベン・ロアーFCへ入団するが、ここでは加入半年で14試合1ゴールに留まり、2021年8月に双方合意の下に契約を解除。2022年にはJ3リーグに所属するテゲバジャーロ宮崎へ加入。開幕戦から先発出場し、第2節北九州戦、第3節相模原戦にて移籍後初得点を含む2試合連続得点を記録。その後もコンスタント試合に出場した。
2022年10月2日、練習時間外に体調不良を訴え、その日に行われたアウェイ北九州戦は17試合ぶりにベンチ入りメンバーから外れた。翌3日に医療機関を受診した結果、水頭症との診断を受けた。11日に手術を行ったが、容態が悪化し17日から集中治療室(ICU)での治療に推移。18日に病状について公表された。その後も治療を続けていたが、同年10月21日14時50分、入院先の病院で死去、32歳没。一報を受け古巣の柏・広島・山口の各クラブが哀悼の意を表したほか、バンクーバー・ホワイトキャップスやブリスベン・ロアーの公式サイトも追悼コメントを寄せた。
代表記録:4試合2得点
皆さん、こんにちは!
高校選手権下馬評通り青森山田高校が優勝しました!
やっぱり青森山田は勝負強かったですね~。ですが近江高校も最後まであきらめない気持ちがプレーに出てて、とても白熱した良い試合だったと思います(*^▽^*)
また来年の高校選手権も楽しみです!
さて今回はかつて主にレイソルの点取り屋として活躍し、日本代表にも選出された最後宮崎でプレーしたストライカーの工藤壮人氏です!
工藤氏は元々はボランチやサイドバックをこなせるユーティリティープレーヤーでしたが、中学途中にFWに転向してからは才能が開花し、レイソルでは点取り屋として活躍しました!
しかし、カナダのメジャーリーグサッカーでプレーしてからは怪我などもあって目立った活躍できない時期が続き、海外クラブの入団テストを複数落ちるなど苦しい時期が続きました。
それでも2022年にはテゲバジャーロ宮崎に加入し、開幕からレギュラーとして試合に出場。
日本代表にも選ばれるなど、非常に実績がある選手で、それにも関わらず、驕りなどは一切なく、自分のことだけでなくチームメート、クラブ、そしてサポーターのことを大切にする素晴らしい姿勢の持ち主だったといわれており、クラブスローガン「真摯」をまさに体現してくれる存在でした。
ようやく今まで苦しんだ時期から解放されると思いましたが、悲劇は突然訪れてしまいました・・・。
2022年10月に練習時間外に体調不良を訴え、その日に行われたアウェイ北九州戦は17試合ぶりにベンチ入りメンバーから外れました。
その後
翌3日に医療機関を受診した結果、水頭症との診断を受けた。その後11日に手術を行ったが、容態が悪化し17日にはICUでの治療に移り、18日に病状について公表されました。
その後も治療を続けてたものの、同年10月21日14時50分、入院先の病院で息を引き取ることとなりました・・・。
あまりに突然の訃報でした。正直コロナ〇クチンが入ってからスポーツ選手の死亡が多くなっているような気がします・・・。
調べてみると、80代女性がコロナ〇クチンを打って死亡直前に水頭症および頭蓋内圧亢進症状が出たというデータもあります。
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796557.pdf
正直この死亡がワクチンに関係があるかは正直不明ですが、何かきな臭いものを感じてしまいます・・・。
また死亡翌日に国立競技場で開催されたルヴァン杯決勝は工藤の古巣・広島とC大阪の対戦でしたが、広島ベンチには工藤氏の名前が入った背番号9のユニフォームが掲げられ、キックオフ前には黙祷が捧げられたほか、両チームのサポーターがゴール裏に工藤を悼む横断幕を掲げました。
この試合は広島が逆転勝利し、広島での戦友である佐々木翔や青山敏弘、塩谷司、柏の育成組織の後輩にあたる川浪吾郎が工藤氏への思いを語り、GKの大迫敬介はSNSで工藤のユニフォームに優勝メダルを添えて勝利を報告いたしました。
いかに皆さんから愛されていたのかが分かります。
こういう人が亡くなってしまうのはサッカー界だけでなく、日本にとっても悲しいことです。
ぜひ工藤氏に関わった人には工藤氏の分まで思いっきりサッカーをしてほしいと思います。
工藤氏のご冥福をお祈りいたします。
- favorite2 visibility27
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件