ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.266

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    2024年04月24日 23:23 visibility455

永井 篤志(ながい あつし)

国籍 日本

生年月日 1974/12/23

出身地 鹿児島県

身長/体重 177cm/63kg

ポジション MF(DMF・SMF・OMF)

利き足 右

代表デビュー なし

主な出場大会 なし

 

プレースタイル

繊細なボールタッチと独特なリズムのドリブルを武器としており、また卓越したボールコントロールと1対1の強さを活かしてボランチとしてもプレーできるテクニシャン。

 

経歴 

実兄は元プロサッカー選手の永井秀樹。幼少期に兄の影響でサッカーを始める。その後明野中学校を経て、国見高校へ進学。するとここでは高校1年からレギュラーとして活躍し、1年と3年の時には全国高校サッカー選手権大会優勝を果たした。高校卒業後は駒澤大学へ進学。ここでも中心選手として活躍するが、Jリーグ入りを目指していたJFLの福岡ブルックス(現:アビスパ福岡)からオファーを受け、大学を中退して入団した。

 

福岡では入団1年目の1995年に攻撃的MFとして活躍し、クラブのJリーグ昇格に貢献。自身もJFL新人王およびベストイレブンを獲得した。しかし、チーム名が「アビスパ福岡」に改められた1996年以降、右膝の怪我で満足に活躍できず。1998年10月にはサンフレッチェ広島に期限付き移籍で加入するも出場機会に恵まれず、同年末には福岡、広島双方から契約を更新されず退団。その後、Jリーグ復帰を目指しアルバイトで生計を立てながら母校・国見高校で練習を積んだ。

 

約1年半の「浪人」生活を経て、2000年6月にはモンテディオ山形に入団。するとここではボランチとしてレギュラーの座を獲得。するとコンスタントに試合に出場し、ここでは「山形の心臓」と称されるほどの活躍を見せた。2007年にはベガルタ仙台へ移籍。ここでも千葉直樹とのダブルボランチの一角としてレギュラーを掴み取る。仙台では主に守備的な中盤でプレー、独特の間合いのドリブルで突破し、単調になった時間帯にアクセントを付けるプレーを見せ、2009年にはクラブのJ1昇格に貢献。しかし、2010年にはリーグ戦10試合の出場にとどまり、同年限りで仙台を退団。2011年には兄秀樹が所属するFC琉球へ移籍するが、同年限りで退団し、現役を引退した。

 

現役引退はモンテディオ山形のスクールコーチに就任し、その後数々のクラブのコーチを経て、2022年にベガルタ仙台のジュニア監督に就任した。

 

代表記録:なし

 

皆さん、こんばんは!

マリノスが見事ACL決勝進出を果たしました!

3点を先制してから、2失点を喫し一発退場もあってどうなることかと思いましたが、なんとかPK戦で勝利することができました^^;

マリノスにとって初の決勝進出!このままACL初優勝を果たしてほしいと思います!

 

さて今回は引退選手の紹介で福岡から始まり、広島、山形、仙台そして琉球でプレーしたテクニシャン永井篤志氏です!

 

永井氏は高校時代は高校サッカー界屈指の天才ドリブラーとして名を馳せ、福岡では加入1年目で新人王やベストイレブンを獲得するなど将来を期待されていました!

 

しかし、その後は右ひざの怪我もあって目立った活躍ができず、広島を退団してから1年半無所属状態が続くなど苦しい時期が続きました。

 

それでも山形に加入して以降はゲームの組み立てができるボランチとして活躍するようになり、仙台へ加入後はJ1昇格に貢献するなど活躍し、最後は兄秀樹がいる琉球でプレーし現役を引退しました。

 

無所属状態が続いてからの復活はぜひ今のプロサッカー選手を目指す日本人にとって勇気になるエピソードになるはずです!

 

今はベガルタ仙台のジュニアの監督をしていますので、ぜひジュニアの監督して子供たちにサッカーや人として大事なことを教え、立派な大人もしくはサッカー選手を育ててほしいと思います!

 

頑張れ!永井!

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