ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.289

  • K
    2024年12月11日 23:29 visibility107

菊岡 拓朗(きくおか たくろう)

国籍 日本

生年月日 1985/6/30

出身地 静岡県富士市

身長/体重 163cm/62kg

ポジション MF(DMF・SMF・OMF)

利き足 右

代表デビュー なし

主な出場大会 なし

 

プレースタイル

キックやドリブル、パスと攻撃における技術に優れているテクニシャン。正確なプレースキックを武器に得点を演出することができ、中盤ならどこでもこなすことができる。

 

経歴

小学校2年の時にサッカーを始める。その後吉原第一中学校を経て、清水東高校へ進学。高校時代はファンタジスタとして注目されたが、強豪校ひしめく地域にあって全国大会とは無縁だった。高校在学中からJクラブの練習にも参加していたが、高校卒業後は法政大学へ進学。ここでは入部後早くからレギュラーを獲得し、大学3年の時には天皇杯で主力として出場し、3回戦に進出。大学4年の時には関東大学1部リーグでアシスト数第2位を記録し、インカレでは準優勝の原動力となった。この活躍が評価され、大学卒業後は水戸ホーリーホックへの入団が内定した。

 

水戸ホーリーホックでは背番号8を与えられ、新人ながら開幕スタメンを飾ると、その後は右サイドのレギュラーに定着。しかし7月に負傷し、復帰後は徐々に調子を取り戻したもののチームの成績はシーズン序盤から振るわず下位に低迷し、自身のゴールも2得点にとどまった。2009年にはチャンスメーカーとして水戸の中盤に欠かせない選手となり、リーグ序盤から攻撃の起点として水戸の上位躍進を牽引。しかし、自身は5月に負傷離脱し。その後7月に復帰するも、9月に入ると1勝も挙げられず8連敗をするなど苦しい戦いを強いられた。

 

2010年には自身が大学時代に師事を受け、東京ヴェルディの新監督に就任した川勝良一からの誘いにより、同クラブへ完全移籍。ここでは背番号10を与えられ、水戸時代と同じく右サイドを主戦場としたが、この年からボランチにも挑戦。リーグ戦序盤はダブルボランチの一角としてすぐにその期待に応える働きを見せ、8月の柏戦では開幕から19試合無敗を続けていた首位を相手にコーナーキックから決勝点をアシストするなど勝利に導き、東京Vの中盤に欠かせない選手として攻撃を牽引。チームはリーグ終盤まで上位争いを演じ、12月のJ2最終節水戸戦では再びゴールを挙げ勝利に貢献した。2011年もチームの主力として開幕戦から先発起用され続け、左右両サイド、ボランチと戦況に応じて複数のポジションを務め、9月の横浜FC戦では自身初となる1試合2ゴールを挙げるなど最終的には年間9得点を挙げる活躍を見せた。

 

2012年には栃木SCへ完全移籍。同年は開幕こそ怪我で出遅れたが3月に行われた第4節の富山戦で復帰すると以降は左サイドを主戦場に最終節まで全試合に出場。チームの中盤の核として攻撃を牽引した。2013年にはクリスティアーノや元日本代表MF三都主アレサンドロらが即戦力で加入しポジション争いは激化したが、同年も左サイドを主戦場に栃木の攻撃の核としてチームを牽引した。一方、私生活では10月に入籍を果たすが、クラブの財政問題の表面化などもあり、シーズンオフにはコンサドーレ札幌へ完全移籍した。だが、札幌ではレギュラー定着とまで至らず。

 

2016年からはJ3のSC相模原へ完全移籍。移籍1年目はリーグ戦全試合出場を果たし、J3リーグトップとなる9アシストを記録した。2017年からは背番号10を背負い、開幕からスタメン出場を続けていたが、終盤になるにつれてベンチスタートが多くなり、2018年にはリーグ戦19試合の出場にとどまり、同年限りで契約満了により相模原を退団した。2019年にはラインメール青森に加入し、ここで3年間プレー。その後SHIBUYA CITY FCを経て、2022年12月にはCOEDO KAWAGOE F.Cに加入を発表。2024年1月末には第15回埼玉県社会人サッカートーナメント会長杯(天皇杯)兼彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会の大会終了をもって現役引退することを発表した。

 

現役引退後は埼玉県でジュニアサッカーチームAMA Football Clubを設立した。

 

代表記録:なし

 

皆さん、こんばんは!

今回は引退選手の紹介をします!今回は水戸や東京Vなど8クラブでプレーしたファンタジスタの菊岡拓朗氏です!

 

菊岡氏は清水東高校ではファンタジスタとして注目されていましたが、当時は静岡学園や藤枝東などが強く、全国大会とは無縁でした。

 

それでも法政大学で活躍し、見事プロになると、水戸や東京V、栃木とJ2でトップクラスの選手として活躍しました!

 

ただ札幌に移籍してから目立った活躍を見せることができず、2016年には相模原でリーグ戦全試合に出場し、J3トップの9アシストを記録したものの。その後JFLや地域リーグを経て、今年の1月に現役を引退しました。

 

現在はジュニアチームの代表と監督を務めているみたいです!

ぜひ充実したセカンドキャリアを歩んでほしいと思います!

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