ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.306
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2025年01月15日 23:34 visibility92
山下 達也(やました たつや)
国籍 日本
生年月日 1987/11/7
出身地 兵庫県明石市
身長/体重 182cm/73kg
ポジション DF(CB)
利き足 右
代表デビュー なし
主な出場大会 なし
プレースタイル
恵まれた身体能力を持ち、強烈なヘディングや球際の強さを武器とするセンターバック。特に相手選手に前を向かせないアグレッシブなディフェンスは魅力である。
経歴
幼稚園年長の時に友達の誘いでサッカーを始める。小学校の時には明石FCでプレー。その後明石市立大蔵中学校を経て、御影工業高校へ進学。3年の時には兵庫県国体選抜に選ばれ、国体優秀選手に選ばれた。高校卒業後はセレッソ大阪へ入団。しかし、ここでは5年間出場機会に恵まれず、2011年にコンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入。するとここではチームの中心選手として活躍し、J1昇格に貢献。
2012年にはセレッソ大阪に復帰。2013年にはレギュラーの藤本康太、茂庭照幸が負傷により離脱。その穴を埋める活躍を見せ、シーズン中盤からレギュラーを獲得。Jリーグ優秀選手賞も受賞した。この年以降はセレッソ大阪のDFリーダーとしてチームの守備を支える。2014年4月には日本代表候補トレーニングキャンプに選出された。しかし同年チームは主力選手の怪我などもあり低迷し、J2降格を喫した。それでも2015年にはチームで唯一、公式戦全試合に出場を果たし、2016年も開幕から守備陣のリーダーとしてチームを支え、チームのJ1昇格に貢献した。
2017年シーズン後半からは木本恭生とセンターバックのレギュラーの座を争い、2019年のJ1開幕戦では決勝点を決めてチームの6年ぶりとなる開幕戦勝利に貢献。2019年8月にはJ2・柏レイソルへ完全移籍。ここでは途中加入ながらJ2優勝およびJ1昇格に大きく貢献した。2020年10月にはルヴァンカップ準決勝の横浜FM戦で決勝点を決め、チームで7年ぶりの決勝進出に貢献。2022年1月にはセレッソ大阪へ完全移籍で復帰。2024年にはチームのキャプテンに就任。10月には同年シーズン限りでの現役引退を発表。11月末に行われたホーム最終戦となる鹿島戦では後半42分に交代でピッチに入ってJ1通算150試合出場を達成した。
2025年1月にはセレッソ大阪の強化担当に就任。
代表記録:なし
皆さん、こんばんは!
早速ですが今回は引退選手を紹介します!今回は主にセレッソでプロ19年プレーしたセンターバックの山下達也氏です!
山下氏は高校までは国体のメンバーに選ばれたものの、そこまで有名な選手ではなく、セレッソに入団してからもなかなか出場機会に恵まれずにいました。
ただ2011年に札幌に期限付き移籍で加入し、ここで中心選手として活躍すると、セレッソ復帰後も出場機会を増やし、2014年には日本代表候補に選ばれるまでになりました!
その後はJ2でディフェンスリーダーとしてセレッソを支え、木本選手の加入もあって出場機会は減少し、一時期レイソルでもプレーしましたが、セレッソに復帰し、昨年はキャプテンに就任し、現役引退を発表しました!
セレッソのセンターバックと言えばヨニッチや瀬古、西尾という若きセンターバックが最近では印象深いですが、セレッソで通算226試合出場した山下氏の存在無くしては今のセレッソは語れません!
その山下氏は今年からセレッソ大阪の強化担当に就任が決まっています。
当初は下部組織でコーチに就く案もあったが、強化担当としてセカンドキャリアの第1歩を踏み出すことになります。
ちなみに強化担当の仕事は大学生、高校生らのスカウトや、近く対戦するチームの試合視察、クラブ内外の細かな折衝など多岐にわたります。特に新卒のスカウトでは対象選手の保護者や、所属先の指導者と信頼関係を結ぶことが、この業界では一流の入り口といわれています。
山下氏も高校3年時、当時スカウト担当だった小菊昭雄前監督が訪れ、大学進学を勧めた母親を山下氏も含めて説得し、プロ入りした経緯があります。
人格者といわれる山下氏には、新たな才能が発揮される分野かもしれません。
ぜひ今後の山下氏の成長とセレッソのリーグ初優勝に期待したいと思います!
頑張れ!山下!頑張れ!セレッソ!
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- 事務局に通報しました。
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