ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.383

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    2026年01月10日 20:32 visibility81

石原 克哉(いしはら かつや)

国籍 日本

生年月日 1978/10/2

出身地 山梨県韮崎市

身長/体重 176cm/64kg

ポジション MF(DMF・SMF・OMF)、DF(LSB)、FW(ST・WG)

利き足 右

代表デビュー なし

主な出場大会 なし

 

プレースタイル

豊富な運動量を活かしてドリブルでサイドを駆け上がり、また献身的なプレーでチームを支えるMF。また本職はMFながらサイドバックやFWとしてもプレーできるなどユーティリティー性も高い。

 

経歴

6歳の時にサッカーを始める。その後韮崎西中学校を経て、韮崎高校へ進学。高校3年の時にはインターハイベスト4進出に貢献し、全国高校サッカー選手権大会にも出場。高校卒業後は順天堂大学へ進学。大学卒業後はサッカーから離れることも考えていたが周囲の説得もあり開幕直後に練習生としてヴァンフォーレ甲府に加入。2001年は加入1年目から30試合に出場。以降もレギュラーに定着し、地元出身選手ということもあり名実ともに甲府の中心選手となり、2005年はJ2リーグ戦、入れ替え戦全試合に出場しチームの初昇格に大きく貢献した。

 

J1初挑戦となった2006年にはJ1第2節千葉戦で甲府のJ1初得点にもなる自身J1初得点を記録。また試合も引き分けとなり、甲府にJ1昇格初勝ち点をもたらした。以降も大木武監督時代の代名詞とも言われる4-3-3システムのウイングのポジションで、出場停止を除き全試合に出場し残留に貢献。2007年は前年キャプテンを務めていた倉貫一毅の退団によりキャプテンに就任。自身はJ1での自己最多となる5得点を挙げるなど奮闘するもチームはJ2に降格。2011年は4年ぶりのJ1での戦いとなり、開幕戦は左サイドバックとして出場するも、怪我などもありリーグ戦出場は16試合にとどまった。

 

その後も怪我や若手の台頭もあって、出場機会が減少していたが、2014年にはJ1第4節の横浜FM戦で初の先発出場を果たすと、決勝点を挙げ、チームのシーズンの初勝利に貢献。その後もシーズンを通して出場機会を得て、最終的に28試合に出場し3得点を挙げ復活を印象付けるとともに、チームの残留に大きく貢献。しかしその後は膝の状態が思わしくなく出場機会を減らし、2017年10月に今季限りの現役引退を発表した。

 

2018年にはヴァンフォーレ甲府のクラブアンバサダーに就任し、2020年からはヴァンフォーレ甲府U-15、2021年にはU-18コーチ、2025年にはU-18監督に就任し、2026年からはトップチームのコーチに就任が決まった。

 

代表記録:なし

 

皆さん、こんばんは!

さて本日高校選手権の準決勝が行われましたが、決勝は神村学園vs鹿島学園に決まりました!

特に準決勝の神村学園vs尚志戦はPK戦までもつれ込み、最後は主将が外して試合終了となりました。

決勝はどうなるのか注目です!

さてそんな中ですが今回は引退選手の紹介でヴァンフォーレ甲府一筋17年でプレーした甲府のバンディエラ石原克哉氏です!

 

石原氏は韮崎高校で活躍し、順天堂大学卒業後はサッカーを辞めようとも考えていたとの事。

しかし、周囲の説得もあり開幕直後に練習生として甲府に加入しました。

ただ加入した2001年、当時の甲府はームの存続が危ぶまれていた時期であり、学校の校庭を借りた紅白戦も選手が足りずコーチや地元の高校生を借りてやりくりする有様であり、またA契約に替わった後も月給はわずか5万円という状況と苦労しました・・・。

 

それでも石原氏ら選手の頑張りもあって、J1昇格や天皇杯優勝を果たせるクラブにまで成長しました!

在籍17年は甲府クラブ時代を含めても最長であり、また他のチームに在籍したことが無い選手しては同郷かつ高校の先輩でもある仲田健二の10年を大幅に塗り替えるものであります!

 

そして引退試合ではチームのJ2降格が決まったがサポーターからは背番号7のボードを掲げられ最後のチャントに身を包まれて引退しました。

 

その後引退後はヴァンフォーレ甲府でアンバサダーや下部組織のコーチを務め、今年からトップチームのコーチに就任しました!

 

ぜひ今年はコーチとして甲府を上位進出へと導いてほしいと思います!

 

頑張れ!石原!頑張れ!甲府!

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