チーム・スタイルの栄光(と挫折)11

  • フジ
    2010年09月26日 20:45 visibility164

2004年はチーム・スタイルが崩壊した年であった。

しかし、この年は過去最高の試合数を記録する。その活動ぶりを振り返ってみたい。

1月の試合は既に記したので、それ以降の試合を述べていく。

まず3月に宿敵のチームと対戦した(らしい)。場所は明治神宮外苑軟式野球場であった(らしい)。

この試合は負けた(らしい)。

「らしい」ばかりついているのは、筆者が退職の残務整理などでゴタゴタしており参加していなかったためである。試合の様子や結果をを確かめようにも、この試合に出場していたメンバーの大半は現在チームから離れており、監督であるあっ!くま・・・・さんも

「覚えていない」

という。

筆者には、確かこの時点で2勝2敗のタイになった、という記憶があるので、この試合は敗戦ということにしておく。

次の試合は、4月25日(日)。5たび宿敵のチームとの対戦。場所は明治神宮軟式野球場ヒマラヤグラウンド。
 
当時、毎日が日曜日状態であった筆者は、トレーニングを重ね、さらには退職金で懐が温かかったので、試合の3日前と前日にマッサージなどを受けるなどで万全の状態。

速球にカーブを織り交ぜ快調に飛ばす。

この試合、相手チームのメンバーだったはずのTammyさんが我が軍の一員として参加。最終回、ライトへのフライをキャッチするなどの活躍を見せた。

試合は最終回、我が軍がツーアウトながら2,3塁にランナーを進めた。次のバッターが球を打つと、鮮やかにセンター前に運びサヨナラで勝つ。

ヒットが出た瞬間、ベンチはお祭り騒ぎとなった。チーム・スタイル初のサヨナラ勝ちである。

…これが最後の勝利となった。以後、チーム・スタイルは泥沼の連敗街道を突き進むことになる…。

7月、チーム・スタイルが最初に対戦したチームと試合を行う。初試合から2年半。力を蓄えて挑んだ試合だったが、まだ歯が立たなかった。4月まで好調を維持した筆者も、三回途中から登板したが、クリーンヒット2本とエラー、四死球などでノックアウトされる。出足に三振2個をとり

「イケるかもしれない」

と思ったが、練習不足はごまかせなかった。

ボロ負けはしたが、その分を飲み会で挽回しようと、飲みに飲みまくる。

この飲みでKクチさんが大暴れをする。詳細はここでは書けないが、応援に来ていた女性が後に

「野球の応援に行くのは良いけど、あの人が来るなら遠慮する」

と語っていた。

9月は、また宿敵のチームと対戦。

この試合、我が軍のメンバーが集まらず、9人ギリギリでの戦いを強いられた。それに対して相手チームは、野球経験者をズラリとそろえる。

練習不足もあり、この日に登板した筆者はさんざんな成績。味方もエラー5つと最悪の出来。11対7で敗れた。

宿敵のチームとの対戦成績は3勝3敗のタイ。チーム・スタイルの歴史を語るのに欠かせないこの懐かしいチームも、監督のFさんの仕事の都合により解散してしまった。

この試合が、チーム・スタイル史前半の最後の試合となった。メンバーの故障、離脱、バー・スタイルの閉店などの試練が次々と襲い、野球チームとしては崩壊状態になる。

再びチーム・スタイルの活動が行われるには、実に1年7ヶ月の歳月を待たなければならなかったのである。

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