
(野球の話をしよう)カープ最強のスイッチヒッター・高橋慶彦
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G.G.tomo
2009年11月05日 21:26 visibility1138
どうも!!G.G.tomoです。
今日は久々に『野球の話をしよう』をお送りしたいと思います。
奈良に居た時に在籍していた草野球チーム・『愛会』で、(念のために申し上げますが、退団していません。汗)私が付けていた背番号は『2』ですが、『2』を選んだのには理由があります。
広島東洋カープに在籍していたスイッチヒッター・高橋慶彦さんの現役時代の背番号が『2』であったことからです。
私は高橋さんの現役時代の姿を知らなければ、高橋さん自体、どんな選手であったかも知りませんでした。
しかし、私がスイッチヒッターを研究していった中で、『高橋慶彦』というキーワードに当たったのです。
高橋さんは1975年・ドラフト3位で広島東洋カープに入団。
高校時代は投手でしたがプロ入り後は野手へと転向し、更に足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦しました。
当時の広島の監督、古葉監督が掲げる『機動力野球』の中心的存在として活躍し、盗塁王を3度獲得、1979年には33試合連続安打という日本記録を達成しました。
当時の広島の選手としては珍しく全国区で人気のあり、甘いマスクで多くの女性ファンを獲得したそうです。
昼は真っ赤なポルシェを駆り、夜はトルコ風呂をハシゴするなど遊び人としても有名で、たびたびスキャンダルを起こすことから、『夜も盗塁王』と揶揄されることもしばしばでした。
しかし、本来は『練習の虫』と呼ばれるほどの人一倍の努力家で、スイッチヒッター特訓中は毎日約1000回の素振りを行い、足を故障した時もバッターボックスに椅子を置き、それに座ってフリーバッティングを行っていたり、付き合っていた女性の部屋でもバットをかかさず振っていたそうです。
「誰かに似ているな〜?」とふと思い浮かんだのが、私の尊敬するスイッチヒッターの一人・千葉ロッテの西岡剛選手です。
彼も私生活は派手ですが、野球では人一倍の努力家です。
奇しくもその西岡選手を育てたのが、ロッテのコーチに就任した高橋慶彦さんだったのです。
「スイッチヒッターは才能がある人がなれる。」と思っていましたが、
今思うと「スイッチヒッターは人一倍の努力家がなれる。」ものだと思います。
赤田選手だって、福地選手だって、木村拓選手だって、金城選手だって、
挑戦してすぐにスイッチをマスターしていません。
人一倍たくさんバットを振ったからこそ、スイッチとしてプロで結果を残せる選手になったのだと思います。
高橋さんは現役時代、とても不器用な人だと言われていました。
作り上げた左打席もぎこちないもので、とてもキレイなフォームとは言えないものでした。
それでも結果を残すことができたのも、高橋さんの人一倍の努力があったからだと私は思います。
「高橋さんの努力を学びたい。」
高橋さんのことを知ってからそう思うようなり、私は空いていた『2』の背番号を選択したのです。
私も大変不器用です。
野球に対するセンスもなければ、才能も全くありません。
でも、努力することと向上心を持つことだけは誰にも負けたくないです。
どんなに多くのミスを犯しても、相手の力の差を知っても、努力して自分の野球力を高めていきたいですね。
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