50年以上前のR.K Mizuno キャッチャーミット
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虎男
2017年05月19日 09:17 visibility3022
今朝は「R.K Mizunoのキャッチャーミット」のご紹介です。このミットが50年前以上に作られたものと言うのは想像でしか過ぎず、何年に市販されたのかは全くわかりません。規格品番が分かる部分も無いので、Mizunoの本社で問い合わせをしなければわからないでしょう。しかし、親指部分に貼られている布製のラベルは健在で、美津濃社が当時使っていた「トロフィーマーク」がラベルの中心に刺繍でつけられていて、R.K Mizunoのトレードマークもトロフィーの上に赤い文字でつけられています。私の父が最初に私が小学校1年生の時に買ってくれたグラブのラベルが、このラベルで、もうその当時(1967年)では「R.K」の文字は無かったのを記憶しています。さて、この「R.K」の意味ですが、美津濃社の創業者水野利八氏と二代目の水野健次郎の頭文字をとってつけたものだそうです。明治39年(1906年)に創業の美津濃社。やはり、この頃の野球グローブの作りには、本気度が今と違った「おいつけアメリカグローブ製品」と言う気概にあふれていたように品物を触ってわかります。なぜでしょう?このミットが張りと言い、柔らかさと言い「いまだに使える」と言う手触りだからです。小ぶりのキャッチャーミットではありますが、本当の意味でのヒラウラの手触り感の良いのにはびっくりします。「ヒラウラ」とはミットやグローブに手を入れる部分の革のこと。ここの感触が良くないグラブはスポーツ用品店で物色している時にはじかれてしまう第一ポイントでしょう。手を入れて「ヒラウラ」がざらざらしていたり、スムーズさがないとなれば棚に戻してしまうはずです。
このミットも前述したR.K,Mizunoのグローブ、ZETTのグローブもそうですが、捕球面や捕球面の下の「ドテ」と呼ばれる部分に刻印があり、それが「金文字」なのです。この頃は金文字刻印をしているグローブ、ミットばかりだったのでしょうか?興味深い点であります。しかし、技術革新と言うのはすごいです。この頃のグラブは黒色のグラブですら無かったわけで、茶色一色でした。革を染色するような技術は1980年代中頃まで無かったように思われます。今ではグローブの指袋毎に色を変えられる技術があり、派手な色が好きな人たちはオーダーグローブで色指定をして楽しんでいる方たちもいます。
このミットのハミダシですが、キリハミです。ミットの小指の背中の部分は時代を物語る「マジックで所有者が名前を書き入れた跡」が残っています。この頃はグローブやミットに「刺繍名前入れ」なんて技術はありませんでした。何しろシンプルだったのです。
オーソドックスなバックスタイルですね。親指の上につけられているラベルはいまだに健在ですが、経年もあり真っ黒で顔を近づけて見ないと何が書かれているのかが良くわからないラベルです。ウェッブに関しては「ツーピースウエッブ」を採用。かなり小ぶりのミットなので操作性は良いはずです。ポケットですが、このミットは完全に浅いポケットでボールを捕球してから、盗塁などを許さないためを主眼においた「捕球からボールの握り替えが素早く対応」ができるためのミット設計として「浅いポケット」にして作られたのかもしれません。その辺は定かではありません。
もう草野球で自分がマスクをかぶり捕手をすることは無いでしょう。しかし、温故知新の精神で古いグローブやミットへの研究は、今後のグローブやミットの「進化」の経過を教えてくれるものであり、なぜ、このように良い形になっていったと言うヒントにもなるはずです。さらに、こうした古い野球道具には先人たちの野球への想いが詰められているはずです。このグラブを作った人たちの想い、そして選んで購入し、そのグローブが初めて野球の場で使われた時の想い。さらには、このグローブたちを手放した時の想いも込められているはずです。古い道具たちが「今現在のテクノロジーの粋を搭載したグローブたち」に劣っているなどと言う人たちがいたら、それは間違った考え方であると自分は断言できます。なぜなら、多くの人たちが、これらの道具で「野球の素晴らしさ」を今日まで先人たちが伝えてくれているからこそ、野球は無くなっていないのです。道具に感謝する日があっても良いのではないでしょうか。
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