大人になったからこそ、大人になりたくない時間が草野球だ。

  • 虎男
    2017年07月03日 23:49 visibility304

子供の頃「早く大人になりたいなあ」って思ったことが何度もある。中学、高校と中間、期末テストをやるたびに、自分はこれほど学力が無いのかとがっかりさせられたことで、よけいに早く社会に出たいと思ったことも多々あった。私の場合は教師に恵まれてなかったのかもしれない。数学は反吐が出るくらい嫌いな教師のYにテストが終わった後、かならず生徒の取った点数を大声で読み上げてテスト用紙を還してくれるのだが、その読み上げられた子供たちの「恥ずかしさと屈辱」をこの教師は何も考えていなかったのだろうな。これは暴力と一緒。職権乱用でもある。この糞教師に中学三年間という貴重な時間に数学と言う入試教科の一つを大嫌いになる礎を築かされてしまったとずーっと思っていた。英語も中学二年から、脅しを得意とする糞教師に習うことになり、これまた大嫌いな教科に。かろうじて読書が好きだった国語はある程度の点数がとれていたが、英語、数学が学年でビリの成績では高校に行かれるのかどうか、私の親も気が気でなかったはずだ。その当時、私は高校くらいは行っておかなければならないって思ってはいたのだが、受けるところ受けるところ皆落ちてきて、本当にこのまま高校浪人なんてことになりかねないところまで切羽詰まっていたところ、私を引き受けてくれる高校が出てきて、ほっとしたのだが、この糞数学教師のYが言ってた言葉がいまだに忘れられない。「お前なんか何のために高校へ進学するんだ?お前みたいなのが行くのは無駄だってことだよ。え?将来教員になりたい?笑わすな。お前は教員どころか大学だって行かれないよ。お前が大学へ行ったとしたって、教職なんか絶対に途中で挫折して、お前がこの中学校で教育実習ですら受けることは100パーセントないよ。大学だって行ったって無駄だよ。馬鹿じゃあないか。」今、これを現在の教員が中学生に直接言ったら、首だよ。この時代は、体罰すら肯定されていた時代なんだから、こんな言葉だけの「いじめ」なんて教員には許されていたって事だ。

 

私は、その7年後にこの中学校へ出かけて行く。教育実習をやらせてもらうために、お願いに上がったのだ。その時の私の中学現役時代に教鞭をとっていた数人の教師があっけにとられた顔で私を迎えたのを今でも覚えている。そして私は挨拶を終えて開口一番「Y先生ってまだいるんですか?」と聞いてやった。「あ、あの先生は今日は休み。」それを聞いて、「あの先生が7年前に俺を指さして笑ったのをいまだに覚えてますよ。大学すらこんなバカは行かれっこない。それで教員めざすなんて地球がひっくり返ったって無理だって言われたんですよ。俺ね、あの先生のおかげで教職が取れる寸前まで来たんですよ。だから、この中学校の教壇にあがって、あの人と同じ土俵で生徒を指導する段階までは絶対にやってやるって思ってね。だから、この中学校を教育実習の場に選んだのです。あれだけ馬鹿にされたんですからね。」他の教員は、私の言葉に返す言葉が無かったようだ。

 

教員には魅力を感じていなかった。なぜなら、もうその頃には教員の職場はがんじがらめになり、身動きが取れないほどの不自由さを味わう職場になりつつあったからだ。それより、私は進む道が全く決まっていなかったのだ。今から振り返ると子供じみている。そして就職をし、4年間で辞めて海外へ出る。この海外へ出たことで私の人生は180度転換することになる。

 

今、ふと思う。なぜ草野球の監督を、全てのチームの仕事をし続けて13年もやっているのか。それは大人なんだけど「こどもになれる時間」を持ちたいからで、ボールを無心に追いかけている自分も大好きだが、それを一緒に自分と追いかけて一喜一憂するメンバーとの触れ合いが大好きだからだ。こんな時間、簡単に持てる者じゃあない。しかも13年間も自分は「野球の思い出」と言う幸せがある。毎年毎年終われば、今年はどうだっただろう?と振り返ることもできる。しかし、月日が経つのは早いもの。私も白髪頭になり、傍から見ればおっさんより、おじいさんの部類になりつつあるのかも。しかし、心だけは17歳である。絶対に若い人たちに負けじとユニフォームを着続ける。誰が何と言っても、私が作ったユニフォームを死ぬまで着続ける。

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