人種差別=人物の質の低さ 「あなた、人種差別受けた事あります?」

  • 虎男
    2017年11月01日 10:14 visibility481

ヒューストンで行われたワールドシリーズ第3戦で2回裏にホームランを放ったアストロズのグリエル選手がダッグアウトに戻るやいなや、両眼尻を手で横に引っ張る「アジア人の目」を意味する「小ばかにしたジェスチャー」に「人種のるつぼ」であるアメリカは一斉にグリエルを非難する報道が飛んだ。これに対してダルヴィッシュがインタヴューで語ったのは「彼がそういう発言や表現をしたことに怒るつもりはないが、アストロズにもアジア系のファンが沢山いるだろうし、世界の中にアジア系の人たちが沢山いるのは明白なこと。そして、彼のしたようなことが影響が出て、アストロズもそれによって品格を落とすことになるのでは」と言ったことにダルヴィッシュが、日本ですら、ハーフでありながらもおそらく「人種差別」を受けた過去をにおわせる意見だなと私はとらえた。

 

人種差別を日本でしか「住んだことがない人たち」には、直接受けることは無いだろう。大多数は日本人なのだから。これが他の国へ一定の期間でも長期で済む人たちで、その国の言葉を使って生活をしていると話は違ってくる。世の中には「外国人」と言う判断は「肌の色」なのである。そして、白人社会で教養や教育を施されている人たちが大多数だと「海外長期滞在した経験の無い人たち」はそういうイメージがあるだろう。どれだけ日本の方が、相手を傷つけないことが「常識」として浸透しているか。その差はものすごい。白人だけではない、黒人もヒスパニックも、大勢の人たちが同じ国の中にいれば、「肌の色」での差別が生まれるのは当然なのかもしれない。しかも、教育を施されていない人たちの「敵=肌の色の違い」は根強いものがある。なぜなら、そこには人種差別と「社会的格差」が作られているからだと言えよう。

 

私も英国生活をしている時にほんの数回であるが「人種差別」を感じたことがある。しかし、大きな感じではない。なぜ、大きくそれについて感じなかったのかは、私に「黄色人種である優越感」があったからだ。私は当時、大学4年間で空手部に所属し、激しいトレーニングを経て黒帯の有段者であった。もう、今はその面影すら無い。

しかし、当時は空手の型などを見せたりして行っていた英語学校で良い待遇を受けていた。だが、私に対するイメージは学校の他の国からの学生だけでなく、町の中の人たちにも「あいつは日本人だが空手を知っている」と言うイメージが膨らんだのは確かだった。それは町中のパブへ行ったりすると、パブの地元の連中から声をかけたもらったりしていたのだ。しかも、友好的に。この感覚は文字では表しにくい。しかし、相手が日本的な文化を身に着け、そしてそれが近寄りがたい技術であるとわかれば「人種差別」をかざそうとはしなくなるのだ。そこには「動物的な感覚」が含まれており、教育的な判断があるわけではない。

 

人種差別をする人間は、弱い人物である。弱い人間は自分がどの範疇に属していることに「意識」が強く、そして、その範疇の中を個人で逸脱する勇気は無い。所謂「井の中の蛙」なのだ。そして、自分が常に旗色だけを見て「自分はこの肌の色の人間なんだ。そして、この国ではお前らより上にいるんだ。お前は到底我々の文化の中には入ってくることはできない。お前らは違うんだ。」と言う旧社会を引きずってきている人間であることをわかっていない。旧社会とは英国のように厳然たる「階級社会」のことを刺す。「階級社会」が残されている国では、同じ人種の国民であっても、上の階級には地団太踏んでも成り上がることはできない。下層階級に生まれたものは、そのまま下層階級を引きずって生きて行くと言う事だ。それを抜け出すには、よほどの功績を示し、国に貢献すること以外には逸脱は難しい。こういう世界で生きて行くことは、生まれた時から、その階級が自分の背中に烙印を押されているようなもので、人間としての尊厳を踏みにじっている社会であると私は思う。英国人に直接「階級社会」と言う物について質問を試みたことが何度もあるが、誰もそれについてきちんと語ってくれる友人、知人はいなかった。それらは個々の英国人、すなわち大多数の下層階級の人間たちに大きくのしかかっているからこそ、口にすることは難しいのであろうと言う推測しかできなかった。

 

私は人種差別は弱いものが「自分の下に人間を作りたい。なぜなら、自分が最底辺だとこの国で思われているからこそ、その下に人間を位置づけして、自分が上の位置にいたい」と言う単純かつ、品性を疑われても仕方が無い考え方、すなわち教養が無く狭量なる世界にしか生きていない証拠を自らが言葉や態度で示してしまっているのが「人種差別主義者」であり、なかには政治家でありながら、これを利用している馬鹿もいる。これを諭すほど馬鹿げていて、時間が無駄なことは無い。しかし、実際にこういう人間たちの方が世の中多く生息しているのは間違いない。なぜなら、教養を身に着けることは時間と考える事の知的さが必要だからだ。根本から、こんなくだらない考え方を翻すために時間を使ったとしたら、それは多くの努力と時間が必要だし、社会をもっともっと良い方向へ治して行かなければならない。だが、人類はそれができるだろうか?おそらく地球が滅びる頃が来ても、ゴキブリだけが生き残るように「人種差別が駆逐されることは無い」と私は思う。そんな最低なことをしないで済む人間で一生を終わりたい。おそらく、それが自分にはできる立場にいる日本人に生まれてラッキーであることも付け加えておく。

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