ブログの読者?

  • 虎男
    2018年02月10日 22:53 visibility342

フェイスブックの友人がいた。もう今では友人ではなくなっているのだが、彼は片っ端から阪神タイガースのファンである人に対して「友達申請」をしていた。私も御多分にもれず、その人の白羽の矢を立てられた一人だった。勘違いしている人たちがいる。「阪神ファン=友達」と言う図式が成り立つと思っている「幸せな人たち」がいる。私は、こういうのを毛嫌いしてしまう質である。理由は人間は色々な一面を持ち合わせている。同じ野球チームのファンだからと言って、友達になれるかどうかなどわかるわけもない。私は、他にも自分の趣味があり、それがすべての阪神タイガースファンと共有できる趣味であるわけがない。フェイスブックで「阪神ファン」であると言うだけの理由だけで「友達申請させてください。」と来る単純さに驚かされるのである。

 

フェイスブックと言うのは変なページで、友達になっている人が気に入ったページや他の人たちの投稿をシェアしたりすると私のタイムラインに希望もしないのに、掲載されてくる。「有難迷惑」なものもたくさんある。ある時「阪神なんちゃら」と名前も忘れてしまったが、私のタイムラインにあがってきた。それを読んでみると、笑ってしまった。阪神の試合を細かく分析しているのは良いとして、その「ど素人」がプロの選手を「批評」しているのだ。どれだけの「偉さ」なのだろう。プロがアマチュアを批評するのは、問題無い。しかし、素人がプロの選手の一球一球に対して「こうするべきだった。このボールの前に、あの変化球で打者の内角をついて、ボールの残像を残すべきだったはずだ。しかし、それをしなかったために次のストレートはたんなる棒球となったのだ。」なんて、ことを平気で書いているのには大声で笑った。テレビの解説者からの解説を録音でもしていたのか、それともラジオの実況中継の評論家の解説を録音でもしていたのか。テレビの画面から見るだけでボールがどれだけの威力があって、打者がどのボールを狙っていたのかなどわかるわけもない。しかし、それを恥ずかしげもなく書いている。厚顔無恥と言うのはこういうことだろう。私だったらプロの選手のプレーをどのツラさげて批評できると自問してから「無理」と言う2文字が出てくるにきまっている。そこまで僭越にはなれない。

 

これよりもっと驚いたのは、この「僭越ブロガー」のブログに対して3000人を超える人間がこれを読んでいると言う数字が出ていた。そして、この「僭越ブロガー」曰く「私の読者に対して、私は謝らなければならない。それは私のブログがかなり時間がかかり、遅れたことに対してである。」この一文を見て、また驚いた。「私の読者」と言っていることだ。「読者」である。私の頭の中で「読者」と言うのは本や有料の文章を購買して読んでいる人たちのことを指す言葉であると理解しているのだが、こんな無料で、読んでためになるようなことは何も書かれていないと私のような者が思うのに、このブロガーは「読者」と言うのである。この奢りの凄さはどこからくるのか。この揺るがない自信はどこからくるのか。無恥は何者よりも強い。私はブログなんて言い方は好きじゃあない。たんなる忘備録か日記であって、読者を増やしたいなどと奢った気持ちはさらさらない。と言うより、恥ずかしくてそんなこと言えない。色々な人たちが世の中にはいるものである。

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