野球ができる感謝

  • 虎男
    2018年05月01日 10:21 visibility286

57歳になって、初めての先発守備出場をした。48歳のN君が「今日は守備につかずDHでお願いしたいのですが。」との問いかけに応えての出場だった。この時に自分自身の頭の中に浮かんだのが、「今までの自分の野球」である。今までの自分の野球というのは「チームを創部して以来、自分が野手として守っている時の自分の主義である「フィールドとダッグアウトの往復時には全力疾走で」と言うもの。これが、年々簡単ではなくなってくる。

 

なぜ、私がこのフィールドの攻守交代時に全力で走るかと言うと、数多くの試合に出て来た私が見ていて「これをやっている草野球選手」を見たことが無いからだ。草野球をやる人たちには個人の考え方があり、その個人が攻守交代時にエネルギーを使ってしまうのは損だと思っている方達もいるだろう。攻守交代時に走るなんて「バカバカしい」と言う人たちもいる。私はそれを否定しない。草野球のそんな時間に、どう動こうが自由だからである。

だが、私の場合は「少しでも自分が早くダッグアウトに戻れば、素振りをする時間もできる。バッティング手袋をつける時間にも余裕ができる。水分補給もできる。ベンチに座る時間も長く座れ、その分疲れを抜く時間を作れる。さらに良いのは走ることでベンチの自軍の選手たちに私が元気であることをアピールできる。」と言うことだ。

 

たらたら歩いて戻る人たちもいるだろう。その人たちよりも生き生き見えるのは確かだ。そして打撃不振の時ほど全力疾走をやるようにしている。理由はそれによって力が抜けると信じているからだ。そして凡打を打ったとしても、その後の切り替えには全力疾走で守備位置に戻ることで忘れることができるからだ。

 

そして元気で頑張っている事が、チームメンバーに背中で知らせることができるのである。これは私の私流の野球ができる事への喜びの表現と、野球の神様への感謝の表し方なのである。野球ができることを当たり前だと思っている人たちが世の中山ほどいる。若い頃はおそらくだが、私も周囲の人たちの支えなど全く気にしなかった。しかし、今57歳と言う年齢でやっている野球は、野球が自分が主導でやっているのではなく、周囲の皆が都合をつけてくれること、相手チーム様が選んでくださって対戦ができること。家族の理解と支えがあること。常日頃、食生活や睡眠に配慮して、次の日に備えていることの蓄積があること。そして休みを頂けること。それらが偶然、今の健康体の自分がいての野球への参加が可能なだけで、明日の自分がどうなっているかなど予想がつく人間など絶対いないってことである。感謝。感謝が無くて野球をやっている人たちは、自分に何か急激な変化が来た時に、後悔の二文字が絶対に浮かび上がる。「あの時、もっと真剣にやっていたら良かった。面倒くさいから野球の試合をさぼったのを今になって後悔する。」なんて言葉を吐きたくない。私はだから、常に全力疾走で攻守交替ができるようにしておきたい。いつでも「あれだけやっておいて良かった」の自分でいたいから。

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