広島遠征記〜広島市内滞在編〜別題:赤松を広島が欲しかった理由


交流戦が始まる前は広島カープのファンの応援なんて生で見る機会はそうそうありませんでした。


交流戦のよい側面なのかもしれません。 


最初にカープの応援を見たのは1991年の日本シリーズでした。

親父が近所の西武ライオンズ球場(当時の西武ドーム)で日本シリーズをやるということで

チケットを取ってみたのを覚えています。


確かその日はデストラーデのホームランが出たりしたものの、西武が負けた試合だった気がするのですが、応援スタイルにしゃもじを使って応援していたのには衝撃を受けましたね。


固定概念だったわけなのですが、 「ファンが持っている打撃系応援グッズ=メガホン」であって、

しゃもじは衝撃的だったんですね。

今でも西田の応援歌「ま〜めまめまめまめまめま〜め♪」と共に記憶に刻まれていました。 


何で広島でしゃもじの応援をしていたのか。

市民が気軽に応援できるようなもの=当時の主食は米=しゃもじを持って応援に行っていた

という仮説を立てては見たものの、証拠がありません。

なんだろう・・・ 

ずっと気になっていた答えは 宮島にあったんですね。(名産品なんだそうで。) 

知らない事だらけだなと思っただけでなく、

「だから広島はあの時しゃもじで応援していたんだ」と思いました。 





商店街にはこんな大きなPOPが。

試合日程を載せるということはある程度の時期で入れ替えるのかもしれませんね。 




で、その商店街にある薬局で、

今年何故赤松を広島が欲しかったのか。


ここに答えがありました。


赤松薬局です。


 広島最古の薬局だそうで。


彼が活躍する=赤松薬局のCMが来る=さらなる地域密着!

なのでしょうかねw 




失意の中、路面電車で宮島を後にしました。

なんと宮島まで片道1時間もかかるとは・・・大きなタイムロスでした。 


夜は広島風お好み焼きのお店を梯子し、ビールを飲んでいました。

中心部は複雑すぎて場所が分かりにくく、迷いまくりました。


長内選手のお店を見つけたのも2軒行った後に見つけたのですが、

飲みすぎと今後を考えて泣く泣く通り過ぎました。。。 




明日はどうしようか。

いろいろ考えたのですが、結局朝から平和記念公園に行こうと決めました。


その衝撃には目を覆いたくなるようなものばかり。

いま、自分がこうして広島市民球場へ野球を見るために来るということが出来ることに対するありがたさを実感しました。

ホント世間では自殺とか殺人とか非常に多いのですが、 

そんなこと考える前にここへ来い!自分が今生きていることがどんなに大事なことなのか分からないのか!といいたくなるような衝撃でしたね。 


まだ訪れたことの無い方は行ったほうがいいです。 



























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