ともに戦った仲間がどこかにいるもんですね。1997年、川崎フロンターレが誕生した年はこんな年。

ブログの紹介です。

 

一緒にあそこにいた仲間っているもんなんですね。

最近であったことはなかったかも。のりZ氏と青D氏くらいかな。

 

http://blog.livedoor.jp/fsuppo/archives/4661600.html

 

 

不思議と忘れないんですよね。

 

国立競技場の14時キックオフは必ず死闘。

※TBS、世界の松下が実況でした。

 

勝たなければならない試合で宿敵に負け、どん底から這い上がる。

 

サポーターも一緒に這い上がった3か月。

 

絶対に忘れない3カ月は1997年の秋。

 

テレビで見ていてもつらくて、スタジアムに行くとき、あんなに気合い入れて夜布団に入ったり、朝起きたり、電車乗る前も気合入れたことなかった。

 

電車乗っても声かけられること多かったし、韓国に負けて泣きながらご飯食べて、電車乗って帰ってきたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下余談。

 

さて、中村憲剛選手の賞賛に見る、代表戦とフロンターレの試合の落差は、いったい誰がどう説明してくれるんでしょうね???説明しなくてもいいけど、触れもしないのはおかしくないでしょうか???愛があるなら少しくらい憲剛の心配して、その次に矛先を向けるところがたくさんあるだろうに。

 

 

お利口さんパワーしか向けないのは病気ですね。悪口、罵声を向けろという話ではありません。ここで向けるものがあると思うんですけどね。

 

 

 

出ないということは応援しあう関係ではなく依存です。もしくは平和ボケ。

 

 

 

今のところ、この落差に触れてるのはにくまん堂さんくらいですかね。

http://blogs.yahoo.co.jp/nikumando/35666776.html

 

 

ちなみに97年の最終予選、落差を感じた采配があった試合後、監督のクビとか飛びましたからね。

 

 

 

 

追記2

 

 

先日の答え。

 

広島アジア大会で、カズさん、三浦知良選手がゴール裏に向かってジェスチャーをしたとかしないとか。ここから先は言えません。まあおかしな判定、中東の笛とか楽勝でありまくりの時期でしたしね。

 

では。

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