ともに戦った仲間がどこかにいるもんですね。1997年、川崎フロンターレが誕生した年はこんな年。
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おーろら
2011年10月13日 00:29 visibility139
ブログの紹介です。
一緒にあそこにいた仲間っているもんなんですね。
最近であったことはなかったかも。のりZ氏と青D氏くらいかな。
http://blog.livedoor.jp/fsuppo/archives/4661600.html
不思議と忘れないんですよね。
国立競技場の14時キックオフは必ず死闘。
※TBS、世界の松下が実況でした。
勝たなければならない試合で宿敵に負け、どん底から這い上がる。
サポーターも一緒に這い上がった3か月。
絶対に忘れない3カ月は1997年の秋。
テレビで見ていてもつらくて、スタジアムに行くとき、あんなに気合い入れて夜布団に入ったり、朝起きたり、電車乗る前も気合入れたことなかった。
電車乗っても声かけられること多かったし、韓国に負けて泣きながらご飯食べて、電車乗って帰ってきたし。
以下余談。
さて、中村憲剛選手の賞賛に見る、代表戦とフロンターレの試合の落差は、いったい誰がどう説明してくれるんでしょうね???説明しなくてもいいけど、触れもしないのはおかしくないでしょうか???愛があるなら少しくらい憲剛の心配して、その次に矛先を向けるところがたくさんあるだろうに。
お利口さんパワーしか向けないのは病気ですね。悪口、罵声を向けろという話ではありません。ここで向けるものがあると思うんですけどね。
出ないということは応援しあう関係ではなく依存です。もしくは平和ボケ。
今のところ、この落差に触れてるのはにくまん堂さんくらいですかね。
http://blogs.yahoo.co.jp/nikumando/35666776.html
ちなみに97年の最終予選、落差を感じた采配があった試合後、監督のクビとか飛びましたからね。
追記2
先日の答え。
広島アジア大会で、カズさん、三浦知良選手がゴール裏に向かってジェスチャーをしたとかしないとか。ここから先は言えません。まあおかしな判定、中東の笛とか楽勝でありまくりの時期でしたしね。
では。
- 事務局に通報しました。
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