初ベンチ入り(7月1日)


週末になって監督から「早朝野球くらいしかチームが見つからなかった。練習生と言う事ならウチに入ってもいい」と言われた時にはお願いしようと腹を括っていた。
翌週の練習は雨で中止となり、二週間後の7月1日、先日のトーナメントの二回戦がやって来た。
そこで僕は彼の更なる野球バカ姿を目撃する事になる。チームのホームページの更新を一人でやっているのには気付いていた。監督の仕事として彼は全員の出欠を管理し、スタメンの決定から毎回の円陣での話まで全部を行っているのももちろん知っていた。
試合の朝、彼は車がない僕を地下鉄の駅に迎えに来てくれた。年を聞いたら32才で医療関係の検査技師だと答えた。奥さんと2才の娘さんを乗せて球場に着くと、彼はチームメイトに声を掛けて回り、遅れた選手に電話で話し、僕に欠席中のメンバーのユニフォームを貸して、全てが終わってようやくキャッチボールを始めた。と思ったら早めに切り上げて当日、監督代行のような形でサインを出し続けた人と言う人とスタメンを決めている。先発投手を別の選手に譲り自分がマスクを被る事にしていたが、当の先発投手がキャッチボール中に「オレ、一回持たないから」などと軽口を叩いていたのを横目で見て「この人はダメだ」と思った。試合が始まると果たしてマウンドに飲まれ、簡単に2四球を出して、急遽、ロクに投球練習もしていない監督がマウンドに上がる事になった。相手の四番は終盤にサク越え本塁打を放つ実力者だったが、監督が一点もやりたくないと強く思っているのは伝わってきた。選手兼任監督の彼には自分のプレーの言い訳など有り得ないのだろう。彼は中盤まで無失点に抑え、四番打者の弟である新入団選手にマウンドを譲り、自分はまたマスクを被った。「硬式から軟式に変わったので慣れない」と言う彼は再び四球を連発する。その前の入念なキャッチボールで投手らしい抜群のコントロールを披露し、チェンジアップなど得意げに投げていたのだが・・・・・。
5-1で試合は終わった。監督は真っ先にトンボを手にマウンド整備に向かい、簡単なミーティングを行ったが「野球部の経験はない」と言ったつもりの僕は「彼は野球経験がないので」と紹介されてしまった。彼らの中では同義語なのだろう。
監督は自分の荷物を車に乗せ始めた。所有物なのか預かっているのかは分からないがボール、バット、ヘルメット、キッチャー道具一式に更に試合中に投手のフォームを撮影していたカメラまで全部彼の荷物だった。
僕はこの野球バカと野球をしたいと改めて思った。
気付けば俺ももうすぐ36才だ。全力ののプレーが出来るのはあと数年だと思う。
大学一年の時、野球部の体験入部のキャッチボールを買われ、一年生の中で唯一キャッチャーマスクを渡された事がある。体育会に合うはずのない僕は入部しなかったが、その時、一瞬だけ垣間見た「可能性」の正体を見てみたいとも思う気持ちは常にあった。
真剣なプレーにしがみ付くならこれが最後のチャンスになるだろう。









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