長松丸光忠の青春�

「足労かけて済まぬ。予の方から出向こうとしたら、爺に止められてしもうた」
「いつなりとお呼び下さいませ。我らは将軍家の目でございますれば」
 柳生主膳は平伏している。
「面を上げては貰えぬか? 実はこの長松、そちに詫びねばならぬことがあるゆえ、あまり畏まられては口に出しづらいのじゃ」
「え?!」
 主膳守は驚いて頓狂な声をたてた。
「はて、恐れ多きことながら若君が主膳に詫びねばならぬわけなど、何も思い当たりませぬが」
「なんの、正木がことじゃ。予が預かっていながら、怪我をさせてしもうた、済まぬ、この通りじゃ」
 手をつく光忠を前に、主膳は慌てる。
「お、お直り下さりませっ。さようなこと若君におかれましては……」
「いや、長松は正木の血を見て悲しかったのだ。それでな、正木の主である主膳ならば、これより一層悲しいであろうと思い至ったのじゃ」
「若君」
 主膳は困惑した。次期将軍ともあろうお坊ちゃまが、自分の家臣のために詫びている。これが成人した大人であったなら、何か裏があると勘ぐるところだ。しかし、あどけない光忠の素朴さは、素直に主膳の心にしみた。
 そうじゃ、子飼いの正木が傷つけられた一抹の悔しさがあるために、わしは処分をうやむやにし難かったのじゃ。
「我が身に立たれてのお言葉、恐悦至極、ありがとう存知まつる。 おかげさまにて、主膳も迷いを断ててござりまする!」
「迷い?」
「ははっ。山賀を除籍、乱闘に加わりましたものはみな謹慎……」
「ならぬ、ならぬ!」
 手を振って、今度は光忠が慌てた。
「予は昨年の地方大会を録画したものを爺に見せてもろうた。試合で怪我するものも少なくなかった。球に当たったり、山賀と正木のようにぶつかったのもあった。額の包帯に血をにじませながら投げ続ける投手もあったぞ。わが身の痛みを省みず、勝ちにゆく。まこと戦と同じじゃ」
 部屋にこもり、悲しみとショックでブルブル震えていた光忠を叱咤するため、大炊頭がことさら体当たりな試合ばかりを見せたのだ。したくてする怪我などなくとも、戦場にあっては覚悟の上で臨んでいるのだと、いつものように説教しながら。
「は……、しかし」
「さよう、しかしじゃ。しかし、まことの戦はもっと痛い。全てが血の流し合い、命の消し合いじゃ。……長松や、そちの悲しみの比ではあるまい。家族の苦しみ、どれほどか」
 光忠は想像もつかない辛さを恐れ、顔をしかめた。
「なればこそ、東照大権現は戦を封じられたのだと身にしみた。武士の仕事は戦でなく、政であると、善政を競うことじゃと。善政には加増、悪政には藩家の取り潰し。禄高を増やすのは首の数ではない、民に与えた幸せの数と定められたのじゃ」
 東照大権現とは、古今東西、世界一の統治者、徳川家康のことである。
「我が将軍家でそれが守られておるかを見張るのが、そのほうら、目付けの仕事であろ?」
「は。ははっ」
「野球では怪我をするもさせるも、誰も悪くなどはないであろう? だけど、戦なき世にあって、まだ血を流してでも闘う戦士たちがいるのは何のためか? 同じ旗の下で勝利を目指しながら、どうして流派で争いが起こるのか? 誰も答えてくれぬのなら、長松がその謎を解けるまで、早まらずに、どうか誰も罰しないで待っていておくれ」

(つづく)


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