長松丸光忠の青春�

 さて徳川軍のスケジュールだが、すぐ目前に練習試合が組まれていた。
「ふうむ、主戦力を謹慎させておったら、確かに戦いにならぬ。若君はあれで意外と頭が良いぞ」
 そんな風に言う者もいたが、光忠はそこまで考えたわけではない。ただ、
「いがみ合いの根になっているのは何で、どう処理すれば今後は一丸となっていけるのか」
 それが分からないまま誰かを処分して、更にいがみ合いの種を蒔くことになるのが嫌だったのだ。
「しかし、正木どのが御出陣なさらず、山賀どもはのうのうと試合に出るなど不公平ではないか? いよいよ小野派がのさばり、幕内で柳生派の立場がなくなりかねん」
 そんな声もあって、光忠は正木と面談、休ませずに幕内に控えていてもらうことになった。
「新番頭のすげ替えも無く、乱暴者を誰一人罰せず。これでは軍団の秩序を保て得まい。肝心の久松が御し切れぬ戦士達、その方、目を光らせて置いてくれぬか」
 大目付柳生主膳守にそう言い含められていた正木は、光忠の言に一も二もなかった。己が幕内に居るだけで勢力は拮抗する。

 練習試合の準備が進むなか、光忠は野球戦略を勉強し、また歴史を紐解いては東照宮に籠もって、一心不乱に考えた。
 東照大権現ならば、どう裁かれるであろう?
 知恵はきっとそこにあると信じていた。 

 将軍家は本来、秋の決勝戦のみを闘う。どこまでも迎え撃つ立場なのだ。
 それで、他国がしのぎを削って闘う春から夏の間、徳川軍は実践感覚を鈍らせないためにこうした練習試合を行う仕来りであった。
 相手は当然のことながら、身内。つまり水戸徳川、紀州徳川、尾張徳川の御三家である。
 なかでも紀州は将軍家と関係が深く、良い戦士がいればどんどん提供してくれるので、年々弱体化している。九州など西方から勝ちあがってくる猛者を返り討ちにする「第一関門」であることが本来の役目だが、その役目を果たせてはいない。
 でも大丈夫なのだ。
 最強と謳われる「第二関門」尾張徳川軍が、西方から勝ちあがってくるいかなる軍団をも、完璧にやっつけてくれるからである。
 同様に、北からの軍団には水戸徳川が押さえとなる。
 このような仕組みをみれば、決勝における将軍家への手加減は想像に難くない。
「御三家は将軍家を勝たせてやるために存在している」
 これはもはやどこまでも「暗黙の了解」となっていた。
 だからこそ、若君などは飾りにすぎず、各国が尾張、水戸を倒して決勝に挑んでみたくなるのも道理なのであった。

 そして迎えた練習試合当日の朝。久しぶりに姿を見せた光忠の顔は緊張して蒼白。彼は紀州徳川軍の指揮官に挨拶してこう言った。
「手加減などはくれぐれも無用に願います。私が率いているのは、将軍家が誇る天下一の軍団なのですから」

(つづく)

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