
My grandfather.
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toshi
2008年10月14日 22:13 visibility51
木曜日、祖父が他界。
金曜日、午前中で仕事を切り上げ、午後から群馬へ帰省。 いったん帰宅し、土曜日も朝一で群馬へ。 土曜日もまた帰宅し、日曜日はお昼から告別式でした。
様々予定があったのに変更を余儀なくされた皆様、申し訳ありませんでした。
後日にリスケジュールさせていただきたいと思っております。
14人いる孫の代表で挨拶をと言われたけれど、様々考え別の従兄弟に。
一番上は40歳。
一番年下であり、一緒に住んでいなかったのだから、適任ではないなと。
明日は、最後のお別れ。
亡くなっていたから、とても冷たかった。
けれど、化粧も何もしていないのに、顔は入院中よりも血色が良い肌色。
体もとても柔らかく、死後硬直をするはずなのに、今にも「おはよう」って起きそうな相。
少し眉間に皺を寄せ、口もきゅっと締まっているので、半眼半口ではなかったけれど、相当良い相でした。
祖父とは一緒に住んでいなかったから、数えるほどしか会ったことも話したこともなかった。
けれど、祖父がいなければ、あの大学にも行っていなかっただろうし、みんなにも縁できなかった。
そういう意味では、本当に感謝してもしたりない存在。
一度、SUAへ行けたことや大学のこと、信濃町の仕事のことなど感謝の思いを込めて手紙を書いた。 喜んでくれたかな。
8月下旬からは、母と姉を連れて、ほぼ毎週群馬へ帰省し、お見舞いに通った。
母親にとっては、世界に一人しかいない父親だし、俺にとっても大切な祖父だから、少しでも親孝行になればと思って。
96歳11ヶ月21日。
あと9日で97歳だった。
けれど、6月20日に血を吐いて入院・点滴生活が続いたけれど、よく頑張ったなぁ。
大往生です。
自分を含め、兄弟全員が帝国大学に学び、戦時中は海軍へ。
医者や写真家をして大成した兄たちとは違い、晩年は農業でひっそりと暮らしたみたいで、穏やかな人でした。
「家族は仲良くなくっちゃ」と、戦争を体験したからこそ、平和を愛するからこそ、常々言っていたそうです。
祖父のように賢く聡明で、誰からも信頼されるような人間にならなければいけないな、と。
「お祖父ちゃん、ありがとう」と感謝を最大に込めて、懇ろに追善供養をしたいと思います。
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- 事務局に通報しました。
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