木村正太たち去り行く者たちの記録と彼らへ贈る言葉

  • 舎人
    2011年10月24日 02:29 visibility10550











































昨日、巨人は木村正太など7名の選手に戦力外通告をしたと発表しました。これで先に発表のあった黄志龍、川口と合わせて9名の選手が今年ジャイアンツのユニフォームを脱ぐことになります。黄以外はすべて育成選手、したがって巨人の戦力外通告はこの先もまだまだ続きがあるということです。最終的にはさらに8名程度の退団者を生むことになるでしょう。

それにしても今回の発表には少し驚かされました。多くの方が日記に書いていますが、木村は復活を期待していただけに本当に残念です。それと個人的に残念に思ったのはブライトです。年齢は年齢ですが、来シーズンは支配下入りの可能性すら感じていました。彼らは巨人の選手で無くなっても野球を辞めるかどうかは分かりません。今後の進路をどうするか、まだまだ多くの選手が未定だと思います。願わくば彼らの将来が幸せに満ちたものになって欲しいと思うばかりです。それと同時に、縁あって巨人のユニフォームを着たことを今後の人生の糧と誇りにしていただけたらと願ってやみません。

自分が見たこと、感じたことを話し、残すことが一番私らしい彼らへの餞(はなむけ)になるでしょう。今まで撮ってきた動画を集めると同時に、一言ずつ思い出を添えてみました。

黄志龍(22)
初めて見たのは昨年のイースタンリーグが開幕して間もない頃でした。上背はないものの、非常に力感に溢れる投球をしたことを思い出します。ちょうど入団したころの姜建銘(ジャン・チェンミン)を思い出しました。イースタンで結果を出すと、交流戦の前に支配下登録され、オリックス戦でプロ初登板を先発で飾ります。150キロ近い抜群の球威で打者一巡目までは無失点に抑えていました。その時の興奮は未だに昨日のことのように思い出されます。大いに期待を集めていた黄でしたが、その後残念ながら投球バランスを崩し、低迷してしまいました。しかし、まだまだ大卒1年目と同じ歳、いくらでもチャンスがあることと思います。きっと野球は続けることでしょう。そしてきっとまた、日本球界で投げる日が来ることような予感がします。

黄志龍(巨人)のピッチング 2010年3月28日
林イーハウ奪三振・黄志龍奪三振 2010年3月31日
黄志龍 三者連続三振!2010年7月3日
黄志龍奪三振 2010年8月8日
黄志龍 奪三振!2011年4月17日
黄志龍2011年10月9日


川口寛人(26)
なにしろ華のある守備が特長の選手でした。広い守備範囲は小坂のような職人芸を思い起こさせました。打撃も粘りがあり、走塁にもそこそこセンスがあった気がします。どうやら今回の戦力外には肩の故障が絡んでいるらしく、年齢が年齢だったので復帰まで待てないと判断されてしまったのでしょう。全身から野球が好きだというオーラに満ちており、個人的には昨年入団した守備型一芸選手の中で一番思い入れを持っていました。もしかしたらプロとして続けることは諦めるのかもしれませんが、野球は続けて欲しいと思います。いや、野球小僧の川口ならば巨人の選手だった誇りを胸に野球を続けてくれると思います。

川口寛人ライト前ヒット!2011年4月2日
川口寛人ライト前ヒット!2011年6月5日
川口寛人 ライト前ヒット!2011年10月4日
川口寛人 左中間二塁打!2011年10月9日


木村正太(25)
未だに信じられません。なんで戦力外になってしまうのか?ファームウォッチャーとしてもそうですが、2ch上でレポ屋を名乗った2005年からずっと見てきた投手です。それこそ、入団時から見守ってきたのです。プロ初先発は2005年3月26日、阪神との交流戦でした。八回から登板した木村は2イニングを被安打2、与四球1の2失点とややホロ苦デビューでした。しかし、ストレートは145キロに達し、カーブのブレーキも驚くべきものがありました。現在の宮國と優るとも劣らない期待と夢を我々に与えてくれたと思います。当時のジャイアンツ球場は現在より約2キロほど球速表示が甘く、球威で言ったら宮國や田中太に及んでいなかったかもしれません。しかし、当時のジャイアンツ球場はベテランか野間口、三木などの即戦力投手ばかりが跋扈していた空間です。その中で童顔で小柄な高卒ルーキーが投げていたことは何ともいたいけで、大いに気持ちそそるものがありました。周囲の期待も大きく、翌4月11日には早くもイースタンで初先発を任されています。
しかし、思えば、このルーキー時、開幕してすぐに登板を続けさせてしまったことがいけなかったのかもしれません。この初先発の後、ほどなくして最初の故障で離脱をします。その後もどうもケガがちで2年目、3年目もなかなかベストパフォーマンスで投げることが叶いませんでした。さらに4年目の開幕当初は血管が詰まる病気で選手生命が危ぶまれる危機になりました。私は木村はもう野球どころではなくなってしまったとほとんど諦めかけていました。
そんな木村でしたが、その年の夏場になって復帰を果たします。しかも球威が増し、ルーキー時を上回る投球が出来るようになっていたのです。常時145キロ前後のストレートを投げ、時には147キロを記録したこともありました。
そして、2009年、ついに一軍に昇格します。25試合に登板して勝ち負けは関係なかったものの、防御率3.38と好成績を残しました。背番号も15に昇格します。ようやく長かった苦労が報われたと思いました。それと同時に次のシーズンでは先発ローテーション入りも期待していました。
しかし、その2010年はヒジの故障で2度の手術でシーズンを棒に振ってしまいます。そして、オフに育成落ち。今シーズンは再起を賭けたシーズンでした。確かに一軍で投げていた2009年頃に比べると球威は5キロほど落ちています。しかし、あの懸河のごときカーブは健在ですし、リハビリ次第ではまだまだプロでやっていける可能性を秘めていると思います。何でもう一年待ってあげられなかったのか?本当に残念でなりません。野球はもちろん、プロとしてもまだまだあきらめないで欲しい。たとえ巨人の選手で無くなってもずっと応援を続けていきたいと思っています。

木村正太奪三振(2008年9月6日)
木村正太 2011年5月8日
木村正太 2011年5月22日
木村正太 奪三振!2011年6月12日
木村正太 奪三振!2011年10月16日


神田直輝(23)
昨年は球威が10キロも上がったということで今シーズンの活躍が期待されていましたが、今年は逆に球威がプロ入り前の状態に戻ってしまいました。しかし、かつての斎藤雅樹を思い出させる横滑りのスライダーと意外な勝負度胸は忘れません。群馬大学出身ということで退団後は学校の先生を目指すのでしょうか?この2年間は神田の良き思い出になったと共に、将来に向けての大きな財産になったことと思います。

2010年巨人新戦力[尾藤・神田・河野・星野]
神田直輝 地元群馬凱旋登板 平成22年5月15日
神田直輝 奪三振 2010年8月15日
神田直輝 奪三振!2011年4月17日
神田直輝 奪三振!2011年10月16日


杉山晃紀(20)
ルーキー時、同期の誰よりも速い148キロを記録した剛球投手でした。ドラフト時、評論家の小関さんは杉山は育成ではなく、本ドラフトに相応しい投手だと話していたことを思い出します。しかし、2年目のケガは何とも残念な結果になりました。支配下選手ならばもう少し待ってもらえたでしょう。なんでも、ここにきて140キロ後半をコンスタントに投げられるようになったとか。ケガを完全に治し、どこでもいいから野球を続け、プロでの再出発を目指して欲しいと思います。

杉山晃紀奪三振!2009年8月23日
杉山晃紀奪三振 2010年8月18日


福泉敬大(23)
ハンカチ世代の苦労人。たった一年の在籍でしたが、あまりに特長がなく、アピールが足りなかったと思います。アマとして、独立リーグの投手としては主戦力になれるレベルだったものの、抜きん出た何かがなければプロとしてやっていくことが厳しいということなのでしょう。しかし、まだ23歳、いくらでも武器を手に入れ、牙を磨く時間はあるでしょう。またいつかプロで投げるための研鑽を積んで欲しいと思います。

福泉敬大 2011年4月17日
福泉敬大 2011年7月31日
福泉敬大 奪三振!2011年10月4日


谷内田敦士(21)
キャッチャーとしては伊集院やなんかよりはるかに向いていた気がします。しかし、プロとしてやっていくためには総合力でどうしても力不足でした。ただ、一番の懸案課題だった打撃が年々向上していたことは確かです。現役選手としてのキャリアはこれで終わりになるのかもしれませんが、谷内田のような捕手は裏方としていくらでも引き手があると思います。これからもジャイアンツ球場で会うことになるのではないかと予感しています。

谷内田敦士 レフト前ヒット 2010年8月15日
谷内田敦士 マルチヒット!2010年9月12日
谷内田敦士 ライト前ヒット!2011年5月22日
谷内田敦士 マルチヒット!2011年7月31日


李イーフォン(18)
何が原因で投球できなくなってしまったのか分かりませんが、残念な限りです。投げるセンスは本当に凄かった。チェンのような投手になると本当に思っていました。まだ18歳、宮國たち高卒ルーキーと同じ年齢です。どんな将来が李に待っているか分かりませんが、投手としても打者としても、可能性は広がっていると思います。ぜひとも野球は続けて欲しい。青田買いの責任は巨人がしっかり取ることでしょう。しかし、それに頼ることなく李は自分の力とセンスでこれからの道を拓いていくことと思います。

李イーフォン 2011年7月31日
李イーフォン レフト前ヒット!2011年10月9日



















































アダム・ブライト(27)
木村と並んで最も残念なのがブライトについてです。春先に比べて投球が本当に力強くなって、夏場以降は左腕の中で最も安定感を感じました。ひょっとしたら来シーズンの開幕から一軍で投げているのではないかという思いを起こされるほどでした。投げるたびに吠える投球は端正な顔立ちとは相反するワイルドさでした。活躍したらきっと人気者になれたと思いました。どこか取らないかな。このまま帰国させてしまうのは本当にもったいない。

アダム・ブライト 2011年4月2日
アダム・ブライト 2011年7月31日
アダム・ブライト 2011年8月31日


栂野雅史(27)
昨年までのG選手と言うことで加えさせていただきました。本当なら横浜に行くはずの投手でした。それを横取りして強引に入団させたのです。真の緩急の使い手で、試合の序盤を上手く乗り切ると手が付けられない投球を繰り広げていました。しかし、波に乗るべき時に乗り遅れた感があります。
2008年の開幕第3戦、一軍の先発を任された栂野は負け投手になったものの、五回2失点の好投をしました。ところが、その後中継ぎに回ったものの、どうも消極的な投球が目立ち、首脳陣の信用を欠いてしまった感じです。ファームでは主に先発をしていたのに、勝手の違うリリーフを一軍ではやらされたことによる戸惑いはあったのかもしれません。
その後ファームで主戦力として投げ続けていたものの、いっこうに一軍からはお呼びがかかりません。そんな感じでくすぶっているところ、昨シーズンの中盤、朝井と交換で楽天に移籍しました。楽天では星野監督に期待している選手として名前を挙げられるほどでしたが、周囲の期待むなしく、なかなか結果が出なかったようです。
今回楽天球団から戦力外通告を受けることになってしまったのですが、気付けば27歳。潮時かもしれません。プロでなんとか1勝をして欲しかったです。もしかしたらトライアウトを受けて引き取る球団があるかもしれませんが、栂野の持ち味を良く理解し、復調に少し時間がかかることを構わないと言ってくれる球団があるならば、まだまだ活躍の場があるかもしれません。そんな球団が現れないかと祈らずにいられません。

栂野奪三振(2008年7月9日)


今週の木曜日にはドラフト会議があります。夢破れ去る者がいれば、夢を見て来る者もいます。誰かが夢を掴むと言うことは誰かの夢を奪うことだと言います。そんな人間たちの思いの交差点のような場所に我々は立ち会っているのかもしれません。ユニフォームを脱ぐ選手たちの前途が輝かしいものになりますように!ありがとう。そしてお疲れさま。

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