侍ジャイアンツの正しい見方・1973年のジャイアンツ
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舎人
2011年01月11日 00:08 visibility3367
大田や若手たちの話は手間と時間がかかるので少しずつ作業をしています。動画の編集が大変なのでもう少し待っていてください。それはさておき、今日は書きかけだった日記を仕上げて更新したいと思います。侍ジャイアンツと1973年のジャイアンツについての話です。
最近、子どもたちは休みの日になると家に友達を連れてきて、アニマックスやらキッズチャンネルでアニメばかり見ています。今はアーカイブズの時代なのでしょう。昔のアニメは大人には懐かしく、子どもは新鮮に見る事ができます。今の子どもと同じ話題を共有することは楽しいのですが、どうせアニメを見るのなら野球関係のものを見せようと思い、それならばと、レンタルビデオで「侍ジャイアンツ」を借りてきて、なかば強制的に子ども軍団に見せてみました。少しでも巨人ファンが増えるための情操教育です(笑)
しかし、どうもイマイチな反応・・アニメの内容そっちのけで、番場蛮の大げさな大股歩きなんか真似てふざける始末です。もう巨人なんか、否、野球なんか今の子どもは夢中にならないのか?イナズマイレブンの方が楽しいみたい・・まぁ親父が昔を懐かしんで楽しむことができたのですから良しとしましょう。
私は何10年ぶりにこのアニメを通して見たのですが、子どもの頃には気付かなかった色々なことを気付かせてくれます。ただの魔球が出てくるスポ根アニメではありません。実は当時の巨人のチーム事情や背景を十分に反映させたものになっており、巨人の球団史を学ぶことのできるものです。
簡単に物語の流れを説明すると、将来の巨人軍のためにサムライ魂を持った新人を求めていた川上監督は、土佐嵐高校の番場蛮を知る。最初はでっかい奴は嫌いだと、巨人入りを拒否した番場だったが、恋する理香のすすめで、やむなく入団を決意。ところが、番場は今度は内側から巨人を喰い破ると言い放ち、相変わらず、打倒巨人を掲げてトラブルを巻き起こす。
なんとか怒りの矛先を見つけるためにもがく番場だったが、八幡先輩の献身的な行動に少しずつ変わりつつあった。そんな時、川上監督の「お前には巨人よりももっと大きなものを倒す目的があるんじゃないのか」という言葉で、“侍は己を知る物のために死す”巨人の戦力となることを誓う。
番場は、川上監督の期待通り、猛特訓で数々の新魔球を会得、巨人を優勝に導くために戦っていく。その中で番場はライバルたちヤクルトの眉月や中日の大砲、阪神のウルフチーフと激突する。チームはV9を目指して突き進むが、なかなか波に乗り切れない。その壮絶な優勝争いに番場や八幡、ライバルたちは嫌が応にも巻き込まれていく。
このアニメが放送されたのは1973年の10月からの1年間ですが、物語的には1972年の秋から1973年の秋にかけての設定になっています。原作の漫画はもっと早い時期から連載をしていたようですが、アニメの方ではちょうど巨人がV8を達成して、V9を目指して戦っていく1年間です。したがってこのアニメは見方を変えれば番場蛮というヒーローを使ったV9達成物語とも言えるのです。この物語を知るためには1973年という年がジャイアンツにとってどんな年だったのかを知らなくてはいけません。それはアニメなんかで語らなくてもあまりにドラマチックな展開で、それだけで十分面白い出来事があった年だったのでした。
“1973年のジャイアンツ”なんだか村上春樹の小説のようですが、この年巨人は前人未到のV9を達成しました。しかし、この年の巨人は4月の開幕直後に首位に立って以降はずっと下位に低迷していました。それでも8月にはなんとか首位に返り咲いたものの、10月には阪神に首位を奪い返され、自力優勝も消滅してしまいます。しかも、4番の長嶋が10月11日の試合で右手薬指を骨折してしまったのです。絶体絶命のピンチでした。
そして10月も半ばを過ぎると、いよいよ阪神の優勝が秒読みになってきました。10月20日の中日戦を前に首位の阪神は64勝57敗7分(残り試合2)、2位の巨人が65勝60敗4分(残り試合1)でゲーム差0.5。マジック1としていました。残り2試合のうちどちらかを勝つか引き分ければ阪神の優勝です。しかし、エース江夏を立てた阪神でしたが中日に2対4で破れてしまいます。この試合が行われている最中、巨人ナインは新幹線で大阪に移動していたそうです。その年の最終戦の阪神戦に備えるためでした。移動の車中で巨人ナインは食い入るように球場を見つめていたという話です。
一説によるとこの試合は阪神は負けることを指示されていたそうです。江夏の「左腕の誇り」という自伝には、長田という当時の球団代表が「中日戦に勝たないでくれ。勝つとお金がかかるから、監督も了承している」と言われたのだそうです。しかし、江夏は無視して勝つつもりで試合に臨んだところ、図らずも負けてしまったのでした。球団代表が本当にそんな八百長まがいのことをどこまで本気で言ったのか分かりませんが、優勝決定戦を甲子園で戦うのと否とでは、営業面で大きな差が出てしまうことは必然。そんな思いからポロリと本音が出てしまったのかもしれません。
また、中日の先発の星野は、8回も連続優勝している巨人に優勝されるよりは、阪神が勝った方がましと思い、打ってくれといわんばかりに阪神の打者にど真ん中ばかり投げたのだそうです。しかし、プレッシャーでガチガチになった阪神のバッターは凡退を繰り返したとか・・
阪神が負けたことを知った巨人ナインの士気は当然のように上がりました。最終決戦は雨で1日後れの10月22日でしたが、その日の朝に巨人ナインの宿泊する竹園旅館に嬉しい連絡が届きました。この日の早朝、柴田に長男が誕生したのでした。巨人ナインは「勲が将来、お前の生まれた日に“お父さんはV9を達成したんだ”と自慢できるようにしてやろう」そんな会話がされたそうです。
優勝決定戦は阪神上田次郎、巨人高橋一三の両先発でしたが、初回から巨人の一方的な試合展開となってしまいました。初回に阪神先発の上田は先頭の柴田にいきなり四球を与え、2番黒江にもヒット、そこからミスも絡まり阪神は2点を奪われてしまうのです。結局、この初回の失点が決勝点となりました。高橋は九回まで投げ続け最後のバッターのカークランドを三振に打ち取り完封、9対0で巨人は勝利し、V9は達成されたのです。ケガで離脱していた長嶋は自宅で観戦して一緒にいたトレーニングコーチと喜びを分かち合ったそうです。
しかし、この試合で川上監督の胴上げはありませんでした。怒り狂った一部の阪神ファンが暴徒と化して球場へなだれ込んだからでした。巨人ナインは即座にベンチ裏から球場を抜け移動バスに飛び乗ったそうですが、胴上げどころか阪神ファンに追い回され、王にいたっては下駄で頭を殴られたりしたそうです。それどころか怒りの納まらない阪神ファンは読売テレビの放送席を襲って 解説の村山実、佐藤忠功アナ、ディレクターに暴行、中継カメラ全てを破壊したそうです。 そのためにV9の優勝決定の瞬間の鮮明な映像は残っていないとか。これはまだ学生運動の名残があったからなのでしょう。阪神ファンがどうこうというよりも時代のなした行為のような気がします。みんなが元気な時代だったのです。
話を元に戻して、アニメの侍ジャイアンツではこうした巨人のチーム事情を反映して作られています。番場蛮の荒削りで破天荒ながら無限の勢いを感じさせる人物像は、当時の完成されてこそいるものの、徐々に勢いを失っていくチームの対極をなすものであり、当時の巨人が最も必要とされていた要素を具現化したものなのです。また、番場のようなチームを変える新人が現れて欲しいというのは、ドラフトで有望選手を指名しても一向に出て来ないチームの焦りの裏返しです。
物語はクライマックスに向かい、いよいよ実際に行われた試合とリンクしていきます。長嶋が負傷交代した10月11日の阪神との天王山で、一打勝ち越しの同点の八回二死満塁、バッター田淵の場面で番場は緊急登板します。この日のために開発した新魔球・分身魔球によって田淵は三振に打ち取られ、この試合、巨人はなんとか引き分けに持ち込みます。10月20日の阪神対中日戦、阪神が勝つか引き分けで優勝の試合では、ライバル中日の大砲が番場の友情に応えるためにサヨナラ本塁打を放ちます。そして、10月22日の阪神巨人の優勝決定戦で番場は六回からリリーフし、この試合に出るため復帰したウルフチーフと対戦し、見事打ち取って、巨人のV9が達成されたことになっています。このように、実際のV9を巡る攻防に番場の活躍を織り込みことによって物語はさらに劇的に仕上げてあるのです。
しかし、このV9はまさに黄金時代の最後のきらめきでした。その後巨人は日本一から7年間も遠ざかる低迷期に入ることになるのです。番場のような選手はもちろん現実にはいませんでした。V9後の低迷についての検証については次の機会に考えてみたいと思います。
ところで、アニメをよく見ていると細部に変なシーンがありました。番場がハイジャンプ魔球を大砲によって打ち砕かれ、足を負傷して病院に担ぎ込まれた回(24話)なのですが、実際に巨人でお抱えだった吉田接骨院の院長先生と番場が話すシーン、釣り好きな吉田先生の机の上にとんでもない物が!?
ありえない!
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