天才! 倉貫一毅。


今日は愛する倉貫選手の話題を…

皆さん倉貫一毅ってご存知ですか?去年甲府からサンガに移籍してきた選手なんですが…
地味な選手なんですけど、上手いです。玄人好みな選手やと思います。

身体の線が細くて背も高くないので最初ピッチで見たときはユースの選手?って思うくらいでした。
司令塔的なゲームをコントロールが出来、サイドよりは中で活きる選手やと思います。

去年J1へ上がった立役者の一人には間違いありません。
そんな倉貫は今季、未だに出場がありません。それどころかベンチ入りもありません。
なぜ、倉貫を使わない?が今の京都の七不思議でもあります。
あとの6つは何?って聞かんといて下さいね。(^_^;)

甲府サポさんからも倉貫使わないなら返せ!ってやいやい言われてます…
京都サポは倉貫を使え!とかなりヒートアップしてます。
Qさんの隠し球?懐刀?

腐ることなく練習には励んでくれていると思います。サテの試合なんか見ていても‘らしさ‘は健在です!

で、そんな倉貫に熱い想いを込めて、本年度のサンガのオフィシャルハンドブックから倉貫欄を掲載しようと…
スキャンも持ってないので手入力で頑張ります!
長くなるので、興味ある方(えっ!いない〜。。。)ご覧いただければと…


          SMILE・絆の向こう

                       倉貫一毅

            父の時間。子の時間。夢の時間。

 熱狂的なサポーターたちの消えた真夏の夜の西京極スタジアム。スタンドの照明はすでに落とされ、ナイターの光が唯一照らすピッチでは劇的な勝利の余韻にひたるように、サンガの選手たちの囲みの光景がいつものように存在していた。ふとフィールドに目を向けると、その群れに少し距離を置くように、同じグラウンドで熱いプレーを繰り広げていた父と愛くるしい息子の仲むつまじい姿があった。
さっきまで試合で点火していた心と肉体が一気にクールダウンしていきそうな、それはそれはやさしい風景。  最初は手をつないでゆっくりと歩いていた二人だったが、やがて男の子がはしゃぐように一人で駆けだした。 少し前までは戦場だったピッチがのどかな公園の芝生に見えるほどに、すっかりピースな雰囲気に包まれた静寂のスタジアム。 父は息子が転ばないかと心配そうな顔で見守っていた。
かつての自分と、かつての自分の父親のように。

 彼がサッカーを始めたのは幼稚園の頃だったと思う。でも、グランドを走ったり、ボールを使って遊んだりしたのは、もっともっと小さな時分。今の自分の息子ぐらいの時に、彼も父のそばで芝生をヨチヨチ走りしていたかもしれない。父は滋賀県のサッカークラブの監督だった。練習や試合に連れられていくことが多く、サッカーをするお兄さんたちによく可愛がられて遊んでもらった。
そんな環境で育ったせいか、彼もまたごくごく自然に親しんでいった。当たり前のようにクラブのメンバーになていた。幼稚園、小学校、そして中学校と、成長の隣にはいつもサッカーがあった。そして、温かい父がいた。

 父は人生の指導者であるとともに、サッカーの最初の、結果的にはいちばん長い時間を共有した指導者だった。サッカーの楽しさ、素晴らしさを誰よりも熱心にわかりやすく伝えてくれた。
もちろん、父子鷹のような関係がプレッシャーになったこともある。世界に通用するフットボールプレーヤーになってほしい。父の夢だった。それは、やがて彼の夢にある。

 しかしながら、そんなプレッシャーに押しつぶされたりすることなかった。彼も、彼の父も純粋にサッカーを愛していた。サッカーが楽しくて、いつも真っ直ぐな真摯な気持ちでサッカーに向き合っていた。
だから、ぶれることがない。ちっぽけな野心や名誉欲が優先することは決してなかった。

 中学卒業後、プロになることをめざした彼は父のもとを離れる。サッカーの名門・静岡学園へ入学を果たすためだ。父から旅立っても思いは少しもぶれることなく、サッカーとの相思相愛の時間を楽しみ続けた。来る日も来る日も学校とサッカーだけの生活が幸せだった。

 やがて、Jリーガーとなり、父子の1つの目標は達成される。けれども、彼のサッカーへの思いはつきることがなく、ますます熱をおびている。ジュビロ磐田、ヴァンフォーレ甲府、京都サンガFC…チームが変わってもサッカー馬鹿は永遠だ。生きること。愛すること、食べること。同じくらいにサッカーというスポーツがある。特別な意味はない。サッカーが趣味といっていい。サッカー以外の遊びやスポーツで気分転換なんてありえない。サッカーそのものが人生であり、仕事であり、遊びであり、癒しである。
だから、オフにもサッカーのオフはない。いつもボールに触って、いつもゲームを見て、今でも父が監督をしているクラブに時々は出かけプレーを楽しんでいる。

 それもこれも、のびのびとサッカーに打ち込める環境があるからだと感謝している。太陽を中心に地球が回っているように、サッカーを軸に毎日が動いている今の生活。家族の理解と協力があるからこそ、少しの迷いや躊躇もなくサッカー漬けになっていられるんだと思う。
好きなサッカーをとことんやっているから、家族にも優しくなれる気がする。

 やがて来るだろう。二人の子供たちがパスをする瞬間。かつて父が僕にサッカーという「人生の喜び」をくれたように、僕も渡さなければならない。もちろん、それがサッカーに関係することだっらいうこはないだろう。長男が生まれた年に当時所属していたヴァンフォーレ甲府がJ1昇格。次男が誕生した昨年サンガがJ1昇格。偶然のタイミングだろうけど、子供たちが僕のいちばんのモチベーションになってくれたように、僕も彼らに情熱の「素」や幸福の「種」をプレゼントしたいと感じている。

 父の時間。子の時間。いっしょに紡いだ夢の時間。この先もずっとつないでいきたいと思う。





















































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