負けることで大きなものを失う経験

  • miyashu
    2006年06月18日 15:54 visibility74

今日のタイトルは先日紹介した沢木耕太郎さんの「杯」の中の言葉です。

国を背負って立つ「代表」チームとはいかなるものか。
サッカー「日本代表」は本物の「代表」なのか。
それは託されたものの大きさに関わっている。
負けたときに大きなものを失う経験で「代表」は本物の「代表」となる。

たしかにそうですね。
あの「ドーハ」の悲劇で、サッカー日本代表は大きなものを失う経験し、
本当に代表のスピリットを得るきっかけとなったのではないでしょうか。
しかし、1998年の日本代表はどうだったでしょう。
予選リーグで勝てなくても失うものはそこまで大きくなかったような気がします。
2002年の日本代表も、ベスト16でトルコに敗れましたが、あの敗戦で失うものはなかった。

W杯では日本代表は真の代表となり得ているのか。
「杯」を読みながら、今回の予選リーグ突破は真の「負けられない戦い」となっているのかちょっと疑問がかすめます。
もし今日クロアチアに負けたとき、どれだけのものを失うのか。
想像してみると、自分の中ではそんなに大きくない。
そこまでのものしか、日本代表にまだ託せていない自分がいます。

メディアは(とくにTV朝日)なんだかんだと大騒ぎしていますが、
このクロアチア戦が日本にもたらすものが、今後の日本代表を左右すると言ってもいいかもしれません。

「絶対負けられない戦い」を重ねることで、日本代表は真の日本代表となっていく。
クロアチアにも、ブラジルにも、絶対負けられない。
失うものの大きさを実感させるのは、選手よりもサポーターの悲壮感かもしれない

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