2014年W杯アジア3次予選 北朝鮮代表-日本代表 前編
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おかき
2011年11月19日 08:16 visibility196
(今回は写真がないことを予めご了承ください。また、いくつかのトラブル等を前提に書くので、なんで?と思われるところもあると思いますが、北朝鮮国内という事情を理解して下さい。)
この日は朝からガイドが「試合には貴重品以外は持っていくな。」「手荷物は少なくしてください。」と検査があるので没収される可能性があると何度もしつこい位に注意をする。前日の税関トラブルとはまた違う緊張感が徐々に高まってくる。
試合は16時からの予定であったが、スタジアムに入るのはキックオフの約30分前であることをバスの移動中に告げられる。本来なら祖国解放戦勝記念塔を訪問して、一度ホテルに戻って時間をつぶしてからスタジアムに向かう予定だったが、自分の参加しているツアーは時間が押した為、戦勝記念塔からホテルに戻らず同じ大同江の西にある軍事パレードが行われる金日成広場で時間をつぶしてスタジアムに向かうことになった。
同じバスには約20名。他のバスの組は既に向かっているとの事。(後日談ではあるが、オフィシャルツアーは昼食の後、ホテルで待機してから試合に行ったらしい。)自分たちの組が一番最後にスタジアムに到着。金日成スタジアムの周りは多くの人で溢れていた。だから最初は、北朝鮮もヨーロッパなどと同じで時間ギリギリに来るとばかり思っていた。
凱旋門をくぐり抜け、バスはスタジアム正面の駐車場に止まる。バスを降りる際に一人一人にチケットが手渡される。(これも後日談があり、別のツアーに参加した人間は観戦チケットが手に入らなかったという話。)外に出ると多くの人に見られている事に気が付く。異質なものを見る冷たい目、怒りや憎しみを奥に点した目、ものすごい数の北朝鮮国民の目が日本人を注視している。
ガイドの手招きで入場口に続く道を歩く。その道に約1メートル間隔で人民軍の兵士が並び、北朝鮮国民と日本人が出来るだけ接触しない様にしている。駐車場から入場口までは徒歩1分あるかどうか。
スタジアムの入場口付近は混雑していた。兵士が日本人サポーターを優先的に通す為に、北朝鮮の人間を押さえ込んでいたからだ。優先的とは言っても、単純に面倒な存在を先にいれるだけであるが。
入場口から、スタジアムのコンコースまでは距離にして15メートルほど。壁の両側に兵士が並んでいる。入場口付近に、水やお菓子を売っている場所があるがそれを買っていられる空気ではない。立ち見の北朝鮮国民を入れる必要があるから、日本人サポーターを席に付かせたい。そんな空気だった。
手渡されたチケットの席の順に座っていく。席には予め、番号がプリントされた紙がセロハンテープで付けられていた。きっと外務省がしたのだろう。向かって左手には兵士が列ごとに立ち日本人を監視している。
日本代表サポーターが入場してくると、自然とスタジアム全体の視線がこちらに集まってくる。当然だ。赤や黒、銀で囲まれたスタジアムの中にたった164席だけ青色が中心のエリアがあり、かつそれを左側と下段の通路を共和国の兵士が囲んでいるのだから。
そして、このメインスタンドの上段には金日成の肖像画がある。北朝鮮を構成してきたチュチェ思想のその本人とでもいうべき"偉大なる"金日成がいるのだから、当然この方向に目をやるのは想像に難くない。
激しいブーイングが浴びせられる。だが、ここで怯んでなんかいられない。この位は当然の覚悟なのだ。すると応援の練習も兼ねて示威的に応援を先導、そして扇動する係りが旗を振り大きな声で多くを埋めている観衆を煽ると天井の屋根に反響して、その音と音が生み出す圧力が日本人サポーターを押しつぶそうとする。
目の前に敵がいる訳で兵士がいるから手こそ出さないが、激しい怒りをぶつけてくる。ブーイングみたいなものではない。頭ごなしに一斉に「死ね」と5万人に言われている様なものだ。
ただこの応援には裏側がある。北朝鮮には鼓笛隊など人間の精神や気持ちを鼓舞する集団がいる。翌日平壌の街中をバスが走っていると、子どもたちが街頭で演奏しているのに出会う。ボランティアで労働者を応援する団体と説明をうけた。そういう組織を試合の数日前から動員をかけて準備していたと事情に詳しい人間に聞いた。また、一部の報道では既に予選敗退が決定している事を知らせていないという状況もあった。
つまり、良くも悪くもただひたすらに日本を倒すことだけに国が心血を注いでいたようだった。
ただ私たちが入場してきた直後は私たちの方に向かって応援をぶつけてきたが、試合前はどことなく応援を揃える事に主眼が置かれていた気がする。違うフレーズのコールをしている。また、日本人が陣取ったメインスタンドアウェイ側上段の通路を挟んだ下段では、皆が太鼓を持った部隊がおり彼らが「ゴゴゴゴ」と地鳴りのような音を発していた。
選手たちが下がってもまだ応援は止まない。先に国旗が入ってくる。北朝鮮と日本の国旗。もし日本の国旗を北朝鮮の子どもが持たされていたとしたらどんな気持ちなんだろう。反日で教えられてきた子どもにとっては屈辱ではないか。大人は今回のツアーのガイドも含めてビジネスとして割り切れるけど、それが出来ない子どもにとってはかわいそうだなとスタンドから見ていた。
FIFAアンセムが流れ始める。
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