挑戦3

  • マッキ
    2011年09月11日 20:09 visibility33

仕事が空回りしている自分にとって、この9月の連休は、死活

問題でした。

会社内の野球とソフトボールの全国大会があります。

 

入社1年目、野球は確か1回戦、0-1で、自分は左打席で、3か4、

全打席、三振しました。

そして翌日のソフトボール大会は、うっぷんを晴らすように、1番サード

で5試合、フルで動き優勝しました。

周りもよく打ちましたが、自分は先頭打者として100%出塁して主導権を

握れました。

親善のソフトボール大会で、ひどいと相手チームから声が聞こえるくらいで、

とにかく全力でひっぱり、相手のサード、ショートをぶち抜く、くらいの勢い

でした。とにかく、思いっきりひぱって、相手の野手にぶつける勢いでした。

センター前に弾くとかでなく、できることは、サード、ショートに打球をぶつけて

弾かせても、全力で打つことと、とんがっていました。全部レフト前、1,2回はサード

かショートに当たったかもしれません。

後から、ソフトボールは結構、姑息な手を使っているのを経験して、若い

勢いでいったのも間違いではないと今は納得しています。

本業以外で、目立つひとつのファクターでした。

野球と酒と●と、会社の中で生き抜いていく手段でした。

 

入社1年目、単なる親善の野球、ソフトボール大会とたかをくくっていました。

いずれも、前日は朝の2時、3時まで飲んでいました。

正直にソフトボール大会の5試合目には、自分のチームの攻撃中に思わず

横になりました。昼飯もほとんど、食べられませんでした。

 

そして、ソフトボール優勝の後、バスで宿舎に戻るとき、野球、ソフトボールとも

監督をしていた営業の上司から、「ほんとうは野球で優勝したかっただろう?」

と言われまた。「はい」と答えました。

正直に、野球で勝ち進むほど、自分も周りの状態もあり、ほとんど希望的観測

でした。

ソフトボールは、その翌年は3位、10年くらい前02年、01年に、札幌のチームとして、

2年続けてありました。会社に入って20年、準々決勝以上に進んだのは半分くらい

です。

 

ソフトボールなら、動く範囲が狭いので、何とかなりました。

 

野球は、なかなか、うまく勝ち進めませんでした。

元T銀行や朝野球で現役で捕手をしている関連会社の人を入れたりしても、

準決勝までは、進めませんでした。

 

でも、風は吹きました。

 

一昨年、準決勝寸前に逆転サヨナラ負け、休職中だった一一昨年も同じよう

だったことを聞いていて、やっと去年壁を越えました。

一気に決勝まで行きました。

 

空回りする仕事の行き着いたところです。

 

決勝では人数の差を感じました。

東京、大阪は15人くらいいます。

自分たちは、ぎりぎりで、仙台からの助っ人や、かつて札幌にいた北陸の同期を

入れて、何とかです。

今年も、仙台からの助っ人を入れて、札幌20歳代(エースは30歳になるか)が3人、

自分を入れて経験者6人で挑みます。

 

多分、野球も仕事と同じく上司の手柄になるでしょうが、いつも仕事のたとえで、

野球を引き合いに出されてきた自分にとって、しょうがないです。

 

もっと、もっと、若い時に、野球をしたかったです。

仕事との兼ね合い、勝手に自分にとって野球をできるほどの仕事の状態では

ありませんでした。

いくら野球にたとえられても、できない自分は自爆テロのような行動しかできません

でした。不眠不休でやっておくべきだったかもしれません。

終電普通、2,3時に退社する状態で、自分は無理でした。

土日は引きこもりでした。いや土日も出ていました。

多分、今、朝野球をしていて、周りでそうした中、野球に取り組んでいるのを知り、

自分は甘かったかもしれません。

 

自分の偽善でもあります。

 

気づいたからには、どんな状態でも、好きな野球をしながら、仕事に取り組んでいく

ことに挑戦していきます。

 

どこまでいけるか、わかりません。

 

文武両道、今こそと思います。

 

不惑の40歳を過ぎて、天命を知る50歳へ。

 

立つのは30歳でした。

 

勇気を持って、天命を受け入れます。

 

野球という天命。

 

やっぱり長くなりました。

 

次回からは、俳句のように簡潔に、自己表現します。

 

おそまつ様でして。

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