☆全国中等学校野球史(38)~愛媛~

愛媛県に野球が伝わったのは明治22年で、この年の夏に帰省した正岡子規が伊予尋常中学校(松山中→松山東)の生徒であった河東碧梧桐らにキャッチボールを教えたのが始まりといわれている。その後、明治25年に松山中の野球部が正式に創部された。
続いて愛媛師範で創部、明治30年代になると西条中(西条)、宇和島中(宇和島東)、八幡浜商(八幡浜)、大洲中(大洲)、今治中(今治西)などで次々と創部され、各学校間で対抗戦が行われた。
当時は松山中が圧倒的に強く、明治35年に京都で開催された第三高等学校主催の近県中等学校連合野球大会でも活躍した記録が残っている。この年には県立商業学校(松山商)で野球部が創立された。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の四国予選は香川で開催されることとなり、松山中も参加しようとしたが許可がされず、この予選には愛媛県勢は1校も参加できなかった。
愛媛県勢の予選初参加は第2回大会からで、松山中のみが参加した。しかし、初戦で敗退となった。
その後、松山商が圧倒的な強さを誇るようになっていった。


初代表校
今治中(大正7年夏)(現・今治西)

初勝利校
松山商(大正8年夏)

最高成績
優勝

春夏通算成績
179勝115敗1分

最多勝利校
松山商 80勝





以上です。

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