☆全国中等学校野球史(11)~埼玉~

埼玉県の中等学校で最初に野球部が創部されたのは浦和中(県浦和)と熊谷中(熊谷)で、ともに明治28年であった。
続いて、明治35年に粕壁中(春日部)、明治36年に不動岡中(不動岡)と創部されたが、対抗試合はあまり盛んでなかった。
大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会関東予選には1校も参加していない。
大正10年の第7回大会関東予選に、浦和中と熊谷中が初めて参加している。しかし、埼玉県勢は良い成績が残せず、大正12年からは暫く予選に参加しなくなった。
大正15年から関東予選が南北に分裂したのを機に予選に参加するようになったが、群馬県勢の壁に阻まれた。昭和になると予選の組み替えで南関東予選に参加することになるが、今度は神奈川県勢の壁に阻まれ、夏の全国大会出場は昭和24年と大きく遅れた。
埼玉県勢が初めて甲子園に出場したのは、予選のない春の選抜大会であった。


初代表校
川越中(昭和6年春)(現・県川越)

初勝利校
浦和中(昭和10年春)(現・県浦和)

最高成績
優勝

春夏通算成績
100勝88敗1分

最多勝利校
浦和学院 27勝





以上です。

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