☆全国中等学校野球史(4)~秋田~
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鶴丸 深志’
2014年12月07日 23:28 visibility461
秋田県に野球が伝わったのは明治18年で、伝えた人物は医学博士の細井修吾氏、最初の試合は秋田医学校の校庭といわれている。以後、秋田中、秋田師範学校で野球が行われるようになった。
秋田県で最初に創部された野球部は秋田中で、明治27年に創部された。実際には明治19年頃から活動されていたようだ。
明治30年代になると野球熱が高まり、秋田県知事の肝いりで挑戦杯が行われた。挑戦杯では、秋田中、横手中、大館中が活躍した。
大正4年に第1回夏の全国大会が開催されることとなり、東北地区では朝日新聞社から秋田中に連絡が入った。しかし、東北予選を開催する旨の要請もなく、秋田中は当時の活躍が評価され招待されたと思っていた。その後、朝日新聞社から対戦成績を送るよう要請があり、慌てて近隣の秋田農、横手中と試合を組んで秋田中が優勝、その対戦成績を送った。これが東北予選と認められ、秋田中が東北代表として全国大会に出場した。
このため、当時、東北球界を二分していた岩手県の各校は予選に参加することができず、後々まで問題を残すこととなった。
こうして全国大会に出場した秋田中は見事に準優勝を飾った。この健闘で東北の中等学校野球の実力が全国に知れ渡った。
秋田中の活躍を観戦した先人たちは、陸路での大旗の白河越えがこれほどまでに長く困難なこととは誰ひとりとして思わなかったことでしょう。
初代表校
秋田中(大正4年夏)(現・秋田)
初勝利校
秋田中(大正4年夏)(現・秋田)
最高成績
準優勝
春夏通算成績
51勝91敗
最多勝利校
秋田商 16勝
以上です。
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