☆全国中等学校野球史(19)~石川~

石川県の野球は第四高等学校に始まる。明治の末頃から、第四高等学校の指導を受けた金沢市内の中等学校に広がったが、ほとんどは同好会にすぎなかった。
大正4年、朝日新聞社から第1回全国中等学校優勝野球大会を開催する告知があったが、8月末に第四高等学校主催の北陸関西中等学校野球大会を開催することが決定していた。朝日新聞社は何とかこの大会を予選にしようと考えたが日程の変更は難しく、北陸予選は行われなかった。
大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会北陸予選には、金沢一中(金沢泉丘)、金沢二中(金沢錦丘)、七尾中(七尾)、金沢商、石川師範の5校が参加した。金沢二中が決勝に進出したが、長野師範の壁に阻まれた。
大正7年の北陸予選から長野県勢が抜けたが、今度は新潟県勢の壁に阻まれた。
大正12年からは再び地区割りが変更され、新潟県が抜けたことで、この年に金沢商が石川県勢として初めて全国大会に出場した。


初代表校
金沢商(大正12年夏)

初勝利校
石川師範(昭和7年夏)(現・金沢大学)

最高成績
準優勝

春夏通算成績
49勝80敗

最多勝利校
星稜 24勝





以上です。

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